力を貸してください -病気があっても健やかに過ごしたい-- |
病気以外のことも考えて病気は私の一部分。注意は必要だから、病気のことはいつも頭の隅に置いていても、ね。きょうだいがいたら、同じように大切にして。 おとうさん、おかあさん自身の楽しみも。 私を育てることを一番の生きがいにしないで。 一生懸命になりすぎないで。 期待が重くなるから。 私にも、楽しみや知り合った人から広がる私の人生があるのだから。 |
健康を基準にされたら、つらいな私は自分の身体しかわからないから、これが標準。周りからみたら辛そうって思われることも 比べたり、周りに合わせようとして無理強いしたりされなければ、 別につらいとは思わない。 この制約の中でやっていく方法を見つければいいと思うの。 無理強いされたり、かわいそうって思われたら、 私が悪いからかなと感じる。 でも、何も悪いことではないはず、 ひとりひとりの顔が違うように、たまたま病気という身体だっただけで。 何も不自由がなくても、ブスと言われたら、つらいように。 周りからの見方でつらさを増幅させないで。 |
わがままに思えるけれどやりたいことは、夢中になるものだから。それで 後でグッタリ、ダウンすることも。 でも、そんな経験をして限界を知っていく。 しんどそうに思えたら、さりげなく 他へ注意が向くようにしてみるのもいい。 それでもやりたがったら、見守って。 限られた体力の中で、自分の優先順位で動くから、 わがままと思われるかもしれないけれど。 私にとって大事なものがあるんだよ。 何度かダウンしてもめげないのなら、 それは、何があってもやりたいこと。 きっと、つらさを超えた満足を感じている。 やらずにいることの方がつらくてたまらない。 |
言わないのではなく、言えない疲れた、つらいと周りに伝えなければ、手助けは受けられない。なのに言わない。 それは、言っていいものかわからないから。 もう少しやりたい、できるのではないか、 本当に休まなければならないほどなのか。 悪い状態が日常でそれに慣れているし、 日によって異なる体調に、特に我慢しているつもりはなくても、 ギリギリまでいってしまうこともある。 しまったと思うのは、本人。だから、責めないで。 言っていいんだよ、ギリギリまでやってしまったら、 あなたも周りも困るのだよと伝えてほしい。 |
体育の評価が1でもどんなに頑張っても、健康な人と同じではない。学校では相対評価で守ってもらうこともできるけれど、 社会に出れば、頑張りよりも結果で判断されるもの。 厳しいけれど、それが現実。 体育はいろいろな教科の一つでしかないし、 学校の枠の中の判断でしかない。 だから、一つの見方にとらわれないで。 短所も冷静に見て、足りない部分には補うものを、 できないことにはできる方法を、見つけて工夫する力をつけていけばいい。 |