(2001年作成)

手帳制度に関して

福祉制度を利用するためのパスポートである手帳には、3種類ある。
身体障害者手帳保健福祉手帳療育手帳である。
先進国で障害別に手帳が違うのは、日本だけだという。
一体なぜ分けるのか。
保健福祉手帳ができる時、写真を貼ることを義務付けるかどうか問題になった。身障者手帳と一緒にしてネーミングを単に「障害者手帳」とすればいい。見かけでわからない障害もあるのだから、そういった障害があることも考えるきっかけにしてもらいたかった。
しかし、結局別の手帳ができ、プライバシーを理由に写真の貼り付けしないこととなり、そのために受けられる制度も制限ができた。(本人識別が不可能なことから、不正をおそれられたため)
また、等級種別により、受けられる制度も異なる。果たしてその区分は妥当なのか。
障害が重複していれば、大変さが増す。身体障害は違う内容が重複していれば、等級が一つ重くなるが、他の手帳の障害は重なっても考慮されず、大変さに見合う制度が受けられない。
また、高次脳機能障害などのように、新たにわかってきた障害もあり、支援の方法が模索されているが、現状ではどの障害にも該当せず、福祉制度が利用できない。
その人のレベル、暮らし方に合う支援ができるようにするために、今の手帳を基準とする制度のありかたを考えてみる必要があるのではないだろうか。
なお、WHO(世界保健機関)では、障害の分類を体系的に示す国際障害分類試案(ICIDH)を出している。→ICIDH1980およびICIDH-2
(付記:各々の障害に関する私見)

身体障害者手帳(対象:身体障害)
障害の種別          \         等級
視覚  
聴覚・平衡感覚 聴覚  
平衡機能  
音声・言語・咀嚼機能  
肢体不自由 上肢
下肢
体幹  
運動機能(上肢機能/移動機能)
(乳幼児以前の非進行性脳病変による)
他(いわゆる内部) 心臓機能  
腎臓機能
呼吸器機能
ぼうこう・直腸機能
小腸機能
HIVウイルスによる免疫機能  

1、2級は重度とされている
肢体不自由は7級に該当する項目(細目がある)が2つ以上重複する場合、6級となる
身体障害者福祉法の規定により国が定めている →手帳等級規定より

療育手帳(対象:知的障害)
項目\程度  1度(最重度) 2度(重度) 3度(中度) 4度(軽度)
知能測定値(およそ) 0〜19 20〜34 35〜49 50〜75
日常行動 異常および特異な性癖が あるため、特別の保護指導が必要なもの 異常があり、常時注意と指導が必要なもの 大した異常はないが、指導が必要なもの 正常で特に注意を必要としないもの
基本的生活
(身辺生活の処理)
殆ど不可能 部分的に可能 大体可能 可能なもの

1,2度は重度、3,4度は軽度とされる。
上記表は、成人基準(18歳以上)…(東京都目黒区の福祉のしおりより)抜粋
他項目として、知的能力・職業能力・社会性・意思疎通・身体的健康がある
身体障害者福祉法中の通知での規定のため、都道府県により内容に差がある。東京都では「愛の手帳」と呼ばれる

保健福祉手帳(対象:精神障害)
等級   1     2     3  

詳細はわからないが、生活能力が判断基準。
1級はおおよそ身体障害の重度に相当する。

参考:すこやか村・福祉館(福祉制度に関してわかりやすくまとめられています)

障害のとらえかたは、国や文化により違いがある。
特にいわゆる内部障害や手帳の対象になりづらい神経系の障害、対象になっていない難病をも含める方法もあるのだと、他の分類から気づくことも多い。(国際障害分類試案-ICIDHおよびICIDH-2)
何が、どういうことが障害になるのか、それに気づくことで対策を考えたり、支援を求めるための説明にしたりすることができるだろう。
今後も参考になる資料を示しつつ、このページを充実させられればと考えている。

付記:それぞれの障害に関する私見

視覚障害は、白杖を持ち歩いている、点字を使用するといったイメージ。
視力が弱い方、人生の途中から失明した方は、点字を読むのに時間がかかったり、役にたたない場合もあるし、白杖を持つことに抵抗のある方もいると聞く。中途失明で歩行訓練を受けていないと、触角としての白杖の役目もないだろう。

聴覚障害は、手話を使ってコミュニケーションしているというイメージ。
しかし、手話ができる人ばかりではない。昔はろう学校でも手話を禁じていた。
見かけではわからないため、知らずに話しかけられた場合、返答できないし、様々なアナウンスが聴けない。
幼い頃から障害があれば、言葉を覚えることも難しい。

言語障害は、コミュニケーションに難があるけれど、わかりづらい。発信ができないが、聴いたことは理解している。そこを勘違いされ、返事がないからわからないと思われたり、言ったことを聞き届けられなかったりすることが多いのではないだろうか。

肢体不自由は、車椅子をイメージして、歩けないことに目がいきがち。
病気のために歩く動作に不自由している場合は、他の様々な行動も不自由するだろうし、治療のための制約などもあるだろう。
手や足がない状態で生まれたら喪失感は少ないし、手助けが必要とのアピールもしやすく、道具さえあれば、それなりの生き方ができるのではないだろうか。

内部障害は、見かけではわからない。体調の変化があるために、例えば季節により必要な支援が違うこともある。本人も把握しづらいし、周囲に納得できる説明のしかたもしずらい。

全てに共通するが、幼い頃からのものか、進行するものか、通院や治療が必要なものかで、障害の内容は変わってくるように思う。
幼い頃からの障害ならば、不全感はあっても喪失感はないが、健康な状態と比較して説明することがしづらい。
進行性のものなら、徐々に変化する状況に対応しなければならない。
通院や治療が必要ならば、通院のための時間・費用が日常的に負担になっている。

ひとくくりにししまっては、わからないことがある。
個々に置かれている環境によっても、不自由さは異なるだろう。
自分の障害に対して理解されないと嘆くのなら、他の障害にも目を向けて、共通すること、共感できることを捜してみませんか。
調べていると、知らないことが、あまりにも多いから。

[←もどる]