就職(1999年記)
 

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[↑思いへ] 求職履歴書3社3様進め初日

求職

勇気を振るって職安にでかけた。
病気を持ちながら勤める人の姿を見た私だけれど、自分に勤まるだろうか。
求人を見ても、身障者でも求められるものが高かった。
不安ばかりで気持ちがついていかなくて、通ったのはほんの僅かだったが、
合同面接会の知らせが来たので、思いきって出かけた。
それが、今勤めている会社と出会うきっかけだった。

それ以前に、バリアフリー雑誌掲載の、身障者を積極的に募集している求人に応募したことがある。
面接の機会もいただいたが、場所が遠かったこともあり、不合格となった。
その時に感じた誠意が、学校も休みがちで社会性のない私を少し力づけていた。

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履歴書

項目を埋めても、白い部分が多い。
ここに反映されない経験なら、しているのだけれど。
これといった資格もないし、特技ねぇ。
えいやあ、とホームページ作成と書きこんだ。
これでいいかと迷いながら、写真を貼った。
結果的には、これが採用の大きなきっかけになったようだ。

希望を記入する欄に、体調に合わせ勤務時間短縮、通院への配慮がほしいことを書いた。
はっきりこちらの希望を出した方が、お互いのためになる。
勤めている会社は月一度の通院への配慮があり、ありがたいと、ペースメーカーの方の体験記で見たことがある。
会社って、そんなことも配慮とされるところなんだ、と無知な私は驚いたものだ。
その驚きから、気がついたことだった。
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3社3様

少ない経験ですが、面接を受けた会社、それぞれ違うものです。

*以前直接応募したB社の場合
人事担当者と、障害は違うが身障者で採用された社員の2名との面接。
やる気だけは受け止めてもらえたようだが、折角の機会を生かせず、完敗といった感じ。
一応、適性検査も受けたが。

*面接会で職安指定のA社の場合
担当者は、男女3名。社会人3人と社会経験のない私という図式で、怖かった。
求職を単にチャレンジと決め付けられ、覆せなかった。(縁がなかったのだろう)
質問された中に、「ストレスに強いですか」というものがあった。
障害をもってやっていくことだけで、ストレスになるではないか。
だからこそかもしれないが、かなり意地の悪い質問に思った。
私自身はストレスに弱いと自覚が多々あるので、率直に答えたが。

*面接会で自らアタックしたM社の場合
人事の1名と。
気がつくと、気合を入れて売りこんでいた。慎重ながら、受けとめる相手の姿勢もあり、つい力が入ったようだ。
食事制限や、近づいてはいけない機械があるか(ペースメーカーの場合、必要だろう)訊かれ、会社ではどこまで出来るか、はっきりと言われる。

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進め

M社のみ、次のステップへ進むことができた。
引越しを前提に話を進めていたが、勤めが形になりそうな気配に、後戻りは出来ないという切羽詰った思いとなり、進んでよかったのか悩んだ。やらなければならないことを山ほど前に控え、不安に潰されそうだった。

M社での面接。人事課長ほかと。
日経連の障害者雇用プログラムを利用するとのこと[制度参照→]。会社側も受入れに不安をもっていることを感じる。
引っ越す都合もあり、入社日を2ヶ月ほど先なら、と返事をする。こんな我がまま、聞いて頂いていいんだろうか。
会社の雰囲気が分かるいい機会だった。この雰囲気なら、私でもやって行けるかな、と思いつつ、不安も山ほど。

さらに、もう一度面接をとの通知。
なぜかいつも夜8時9時に連絡があるため、電話を取った母は不審な様子。こんな時間まで、残業?私自身も多少不安ではある。
後に所属することになった、課長ほかと。どういうことができるか、といった点が主な話題。
そういえば、適性検査などはないのだね。面接だけで決めようというのは、すごい。
もっとも、パートでの求人だったせいもあるかな。

パート、しかも試用期間、トライアル雇用とあり、4ヶ月先にならないと、会社との契約に至らない。
母はモノの見かたが厳しい人なので、このあたりの話は、暫く言えなかった。
私とすれば、見つけることさえ大変なのだから、チャンスがあることが、まず大事だった。後は、自分次第だろう。
…でも、自分からはじめたこととはいえ、これでいいのか、不安が尽きない毎日だった。

皆が元気な時なら、悩まずにすむが、病気を持つ家族がいるのに離れることにした、私。
いろいろなことを一度に出来ないから、まず、自分の気持ちで動いていた。
自分を守ることしか、できない。いや、もしかしたら、自分を守ることさえできないかもしれない。
親孝行なんだか親不孝なんだか。
悩みつつ進むので、予定が遅くなり、入社日を1ヶ月先に延ばしていただく。
受け入れてくれた会社。もうこれ以上は先へ延ばせない。

引越しを無事済ませて、徐々に落ち着いて、会社への不安が大きくなる。
そういえば、入社の前にもう一度いくことになるはずだったが、連絡がない。
日にちが迫ったので、こちらから電話して、日時を決定。

勤務開始の前日、会社の看護婦、職場のリーダーと話をする機会をいただいた。
体調の悪い時にどのようになるかを含め、率直に伝えたが、悪い方を聞かされて、かなり心配になったのではないだろうか。私には当たり前のことが、健康な方は違うのだった。申し訳ない。何事もなければ笑い話にできるので、勘弁してください…。

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初日

午後から半日勤務なので、昼から出かける。
当然ながら、こんな時間に出勤する人は、見当たらない。
バスの時刻の関係で、昼休みに着いたため、始業時間まで待ったが、
一人置かれて、不安で何をしていいか分からず、全く緊張をとけずにいた。
そして、そのまま、ではという感じで人事の方に職場へ連れて行かれ、
着いたときには、しっかりパニックに陥っていた。
おかげで挨拶もわやわや。恥ずかしい。

第一印象がよかったし、対応、雰囲気もよかった。いい人たちに出会うことができた。長くいられそうなことに、一安心。
でも、この日ほど精神的に疲れた一日はなかった。
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書類作成などが仕事だが、全くやったことのないことを始めたわけではなくて、
父の事務所の手伝いをしていたので、それが力になっていた。
そもそも父の手伝いは、巻き込まれてやっていたこと。
手が足りなかったり、急ぎの時に限って頼まれる、予備兵だった。
だけど、そのことで鍛えられていたのだと、感じた。

ここ(職場)で仕事が出来るのは、父のおかげ。礼を言わなければ。
そう思っているうちに、言えない所へ逝かれてしまった。

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