2015/12/31 up  [もどる↑]
子どもの頃に何度もした、心臓カテーテル検査
大人になってからは、はじめて
その間の医療の、なんと変わったことか


 昔と今の間  今はこんな  記憶の歪み  今は昔

昔と今の間

入院し、担当医から説明を受ける。
以前やったことがあるから、どんなでしたか、と言われる。
検査の流れはわかっているが、
昔のことは、上手く話せないし、あまり語りたくはない。
子どもの時は腕をバンザイ状態で固定されていたのが、
映像をとるときだけ位置を指定されることが、会話の中でわかった。
それなら拘束感は少ないだろう、ほっとした。
昔は医師に威厳があり、子どもには説明されることもなかったから、
説明を受け、意外なほど満たされ、すっきりとした心もち。

入院当初、手術前(3年前)にカテーテルをしたと勘違いされていた。
術前はできなかったのに。
そのくらい、医療者側にとってこの検査は当然のことなのだろう。
それにしても、30余年ぶり。前の病院で受けた手術のすぐ後以来。
前回の入院で、昔と様子が違うことはわかっていた。ずいぶん楽だろうと思う。
入院期間も、動脈に管を通した足を曲げられない時間も、短くなっている。
でも、気がかりもあり、私には簡単とは思えなかった。
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今はこんな

入院日。説明と、レントゲン・心電図・心エコー、造影CT(血栓がないか確認)。
二日目。検査1つ。明朝カテのため、夜で食べものはストップ。

三日目、検査当日。水もストップ、ただし、いつもの薬は飲む。
同室の人の朝食をよそに、大してすることもなく、待つ時間の長いこと。
検査着に着替え、看護師のチェックを経て、カテ室へ。
ストレッチャーか車椅子、どちらで行くか問われて、車いすで。

検査室の前で、スタッフの出迎えを受ける。
ストレッチャーだったら、きっと無力感があったろうけれど、対面で挨拶できてよかった。
検査台に寝る。固くも冷たくもなく。音楽が流れている。いいなあ。
周りではいろいろ準備、体を触ったり何かするたびに、何々をします、と声がかかる。
麻酔の注射をし、あとは痛みを感じず。
意識はあるけれど、眠いので途中は半分寝る。ふと周りの雰囲気が変わり、出番がきた。

説明時に聞いていた、レントゲンの時に似た、息止め。
子ども時代はなかったので、初体験。協力作業、持ち場があるのはいいかも。
指示通り幾度か息止めをする。気が付くとスタッフは皆遠くにいる。そうか、X線か。
(造影剤による熱さは、あまり感じなかった。)
出番が済んだらしく、処置続行。ほどなく検査は終わりといわれる。

終わりと言われながら、止血が続き、カテ担当の先生は押さえ続けている。
抗凝固剤を止めずに行っているので(最近の主流らしい)、手間取ることがあるという。
ある意味怖いというか、それでいいんだろうかという感じ。
そんな話題の会話をしながら、まあなんとのんびりとしたことかと思う。

傍らの大画面モニタのそばで主治医が、撮りたて画像を見せ説明を始める。
動いている、私の心臓。モノクロだが鮮明で、目が釘づけ。ほんと興味深い。
止血がようやく済み、テープで固定した上にベルトでがっちり止めて、解放される。
ストレッチャーで検査室を出るときには、一仕事終わった時のような、どこか心地よさを感じていた。

病室へ戻り、しばらくして水を飲んで、平気だったので、食事してよいことに。
寝たままの食事、美味しいけれど、あまり食べ応えないのは仕方ないことで。
疲れていたのか、ぼんやりと過ごす。
夜には足を少し曲げてもいいと言われた。

四日目、検査翌日。制限解除。テープをはがす。シャワーに入る。落ち着いて検査の説明を聞く。
五日目、退院。朝の回診で、傷の確認。今日から入浴可能など退院後の話がある。
昼前に病院を後にする。いやはや、なんとスピーディー。

退院翌日。下腹部が赤くなり、かぶれはじめる。粘着テープの置き土産だ。嗚呼。
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記憶の歪み

私の記憶で最初のカテ。学校へ上がる前のこと。
検査の朝、お尻に痛い注射をされ、検査室で冷たく固い台に拘束され、
日常とは違う、何やら機械や見慣れぬ人工的な景色と緊張感に囲まれ、
聞きなれない音がして、体が急に熱くなってびっくりした。
身動きできないのに、そばに人がいない…。
__これって虐待じゃないかしら?

小学生のカテでは、体の熱さはなかったから、機械が古くて熱くなったのかと思っていた。
違うと知ったのは、患者の集まり。造影剤で熱くなると耳にして。
そばに人がいないのも、そんなことはないはず、自分が辛かったから意識にないだけだと思った。
それも、今回のカテで、はたと気付いた。(被曝しないようにか)
そう、自分で納得できるように、勝手に意味づけをしていた。

そのことを思う時、経験を共有する重要性を感じる。
共有というのは、話すとか、テーマとして話し合うことだけではない。
他の人の話で、自分の意味づけが誤りと分かったように、
その話題の別の視点がそばにあること、その話題を避けないでいること。
記憶を歪んだまま、未熟な視点のまま、固まらせないように。

私は辛かったことは口にできない。
口にすれば、当時のことがよみがえるし、聞く人に重さを味わせることになる。
不愉快な思いに人まで巻き込みたくはない、と思う。
(それもあり、ここに綴っているのだろう。)
悩みは話せば楽になる、というが、悩みよりも硬くなっていた、というか、
悩みというかたちに なってはいないものでもあった。
でも、話すかどうかは関係なく、ほぐれる時があった。
時間はかかるかもしれないが、そんな行く末も、ある。
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今は昔

話にきき、ラク、と思うのと、実感したラクは、質が違うもの。
体験して、以前の経験が、今は昔になる。
私にとって、以前の経験は、重かった。それが軽くなっていた。

気がかりだったことも、杞憂だった。
以前このサイトで触れているが、
医師に対してパニック(突然の激しい恐怖感)を起こしたことがあり、
今は記憶の彼方であっても、不発弾の信管は生きているかもしれなくて。
もし検査室で起きてしまったらどうなることかと…。
怖がってはいない。ただ、その恐れが気がかりだった。
検査の時期を自分で決めることができ、恐れを抑えられた。

昔は(今も病院によっては)、検査申込みをし、日にちは病院が決める。
それを、術後1年くらいで検査という主治医の意向を外して(了解いただき)、
気が乗ったところで主治医に話し、そこで決めることができた。
カテへ向かう時は起きた姿勢で行くことができ(横だと自分が無力な存在と感じる)、
起き上がれない時のトイレ問題(ベットで便器か尿道に管か)も選択でき、
声かけや説明もしっかりあった。
それらは時に煩わしくもあったが、
以前、受け身でいるしかなく、何事も受け入れるしかなかった私には、
細かいことの一つ一つが、
安心感や自身でコントロールできるという実感をもたらした。
どこか人間不信なところがある私に、じんわり染みた。

当たり前のことを当たり前にするのは、実は大変なこと。
医療スタッフの意識の高さと実力が有難かった。

ただ、やはり。
今は昔、こんなことがありました、と
心臓カテーテル検査をしなくても済むような方法へ移ったらいいな。
管を通しながら、当たり前のように会話していた時、人間ではない気がしたもの。
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