このサイトをはじめて17年あまり、時代も、私の考え方も変化している。
当初は、医療者に対し、心理的ケアを求めた。
それはサイト立ち上げのきっかけとなった入院時に強く感じたこと。
以前受けた医療が負担になっていたと感じ、それを和らげてほしかった。
医療で起きたことは、医療の場で解決することが一番と思った。
けれど、病気に関わるすべての心理的ケアが医療の場へ持ち込まれるなら別の問題が生じる。
一つの場ですべてをみれば、依存して離れなれなくなることもあるだろう。
医療に対し今求めるとしたら
患者に負担なく、納得してからカテーテルや手術に臨めること、
他のいろいろな支援と柔軟に結びつくようになること。
目に見えない障害のことも考慮されるようになってきたが、
福祉支援の枠組みの変化が暮らしにくさも生み出している。
障害という枠、同じ病気という枠で何かを求めることも難しくなっている。
Aさんを助けたい、という目的から始まった患者会が、すべての同病の患者を、となった時、
最大公約数的な患者像を満たすものを求めることしかできず、
個々の患者の問題は減ることはないのかもしれない。
(仲間がいることで支援を得られたり力づけられることはもちろんあるだろうが)
障害や病名といった大きな枠組みで求めれば、既製服のようなかっちりした支援になり、
重複する者や狭間に落ちる者が置き去りにされる。
もっとその人に合う、やわらかな支援を紡ぎだせるようにならないか。
考え続けていたい。
社会と個人の間をみる視点も変わってきた。
これから向かう先をみていたい。
季節が巡る。時が巡る。輪廻転生。
ふだん当たり前と思う感覚も、文化によって違うものらしい。
欧米では時の感覚は直線的なもの、それによって考え方にも差が生じるという。
天に召されるという行く末、この世とあの世を回り続けるという行く末、
生が最終的にたどり着く先にも反映されているようだ。
それだけの差があるというのに、ケアの方法は欧米のやり方を採用している。
国民性に合わせ修正されてはいるだろうが、根本的な違いを無視していていいのだろうか。
死が近づいた人へのケア、遺族へのケア。
医療の場で考えられるようになったことは、それがないよりも進歩なのだろう。
けれど、家族で共有された想いへ割り込むように入るのだとしたら…
患者への心理ケア。
西洋的文化の上にある医療に携わる者の意味づけで行われるのだとしたら…
それは、誰のためのものなのか。
人は生まれた時から死に向かう時の流れの中にいる。
いつかある死を当然として恐れを抱かない人、恐れて遠ざけようとする人、様々違いがある中で
自分と相手の考え方の違いを認めつつ、相手に添うことができたなら
それがなによりの素敵なケアになるのではないか。
そして、ケアは専門家だけができるのではなく、
同じ場でともに過ごす人であれば誰もができるものだと、忘れずにいたい。
上の項の参考になった本
「悲しみを抱きしめて グリーフケアお断り」(吉田利康・著)
読んで思い出した、父が亡くなったときの違和感。
緩和病棟で亡くなった日、病室にいると、
看護師さんが来て、私にも声をかけてくださったのだが。
あなたも病気があって大変でしょうが…、という意味合いのことば。
私には馴染みがなかった人から、私が明かしたわけではないことを言われ、
ざらっとした心持ち。
病気を隠すつもりはもちろんないし、家族の情報も必要なのはわかる。
けれど、親しいとは言えない人から、あえて触れられなくてはならないことなのか。
生きていくことの大変さは、誰もが負うもの。
やみくもに、頑張ってと声をかけられたのと同じようなものだった。
あの時期はちょうど、父に初めての稼ぎを届けて一区切りついた直後、
一人でもやっていける目途がついたところ。
だから、あの場では、父を想う者同士、それだけでよかった。
昔のことを書いたのは、医療者との関わりは難しいと感じているから。
病気や死を忌避するのか、一過程として受け入れるのか、
考え方も、育った過ごしている環境も、何を重視するかも様々な相手、
相手の前提がよくわからないままに、短い時間、ともに過ごす関係。
そこに軋轢が生まれるのは当然のこと。正解はない、完全もない。けれど。
家族に対してなら、患者を想うもの同士というところから。
患者に対してなら、違いがあっても認めていくところから。
それはたぶん、患者家族の側も同じこと。
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