最終更新日:2007/12/31 [↑もどる]

*この一年

今年の出来事 喜怒哀楽編
喜;放送大学の卒業式、自分が主役のお祝いなんて久々。
  卒業旅行として、ゴールデンウィークに出かけた弘前では、
  2度目の桜が満開でした。
怒;やりきれない事件、それを伝える報道が感情を煽ることや、
  人を守る法律が変えられているのに、内容を伝えないこと。
  大事なことが見失われているような気がします。
哀;力を与えてくれた友人の訃報。
  尋ねたいこと伝えたいことがあったけれど、叶わず。合掌。
楽;中島みゆきコンサートは、ラスト総立ち、
  生で聴けると思わなかった曲に思いがけず出会い、感激。
  ダイアログ・イン・ザ・ダークは、眠った感覚を思い起こし、
  友人たちと語らいのひとときで、たくさん力を得ました。

そして、つつがなく年を越せることに、感謝。
(07.12)

*なぜ分けるの

来春、高齢者でも年長の人の医療費の負担額が大きくなる。
高齢者は様々な病気を抱えるものだから、それに応じた医療を目指すのだと、
そして、たぶん、医療費がかかるものだからと、分けられる。
高齢でなくても、様々な症状を抱えて難儀している人は少なくない、
人の全体を診られる医者が少なくて、苦労している人は大勢いる。
払えなくなる人が増えるとわかっていながら、
高齢者というカテゴリーだけなぜ分けるの?

生命保険や入院保障のある保険は、病気や障害があると制約がある。
病気があれば リスクが高いから、と納得する人も多いけれど、
どうして、ここにいる全体の中から リスクが高いからと排除するの?
それは、誰のためなのか、何が起きているのか、気づかない人が多すぎる。

障害者手帳がある人は障害者だけれど、
手帳がなくたって障害のある人、怪我や病気で困っている人だっている。
例えば食事が作れない、例えば通院に苦労する、
障害だから、病気・怪我だから、子ども連れだから、高齢だから、・・・
どんな理由であろうと、苦労しているのは同じこと。
障害者と高齢者と子育て支援と別々の福祉制度、
優先席の表示に書かれている人、
分けた方がいいことも、分けるから不自由なことも。

その分け方は必要なのか、何をもたらしているのか。
時にはじっくり目を向けたい。
(07.09)

*当たり前のこと

佐藤初女さんの「気づき」というタイトルの講演を聴いた。
何か特別なことがあったり、したりというのではなく、
日常の中で見聞きした中でふと気づくことがあるのだと。
何か問題があるときに、何かをしなければと思ったり、
何かを責めたりするのではなく、そのものを見つめてみること。
それが大事なのだと。
声高にではなく、そんなことが、静かに伝わってきた。
いろいろなお話、それぞれが、言われれば当たり前のことばかり、
だけど、そのごく当たり前のことをするのが難しくて、
右往左往して、大事なものを見失ってしまうのかもしれない。
何が大事か確かめたくて、初女さんや誰かの言葉に頼るのかもしれない。

芯がしっかりしていれば、揺れてもいいのだと教わった。
そうだ、昔そんなことを感じたこともあったっけ。
忘れていることを、改めて思い出すのも、気づきだね。
きっかけをつくってくださった、出会いに感謝しながら。
当たり前のことが当たり前にできるようになりたい。
(07.04)

*手をつないで

母も出席してもらった、卒業式の帰り。
舗道に出た辺りで、よろけた母が私の手をつかむ。
何とはなしに手をつないだまま、二人して歩き出す。
この前手をつないで歩いたのは、いつのことだったろう。
小学生かな?多分、母より身体がずっと小さかった頃。
小学校の通学は、母の漕ぐ自転車の後ろ、目の前は背中だった。
でも今は隣にいる、私より小さくなった母と歩いている。
私、いつの間に、こんなに大きくなっていたんだろう。

傍らの代々木公園の一本だけ満開の桜、
いちごの木に咲く白い花、
下に生えている野草の小さな花々。
それらに目を留めては、感嘆、疑問などを表す母に返事をしながら、
手をつないだ子どもの疑問に応対する大人みたいで、
なんだか、立場が逆になったように感じた。

そうしてゆっくり歩いてたどり着いた駅の前で、
少し惜しい気もしながら、さりげなくつないでいた手が離れた。
忘れられない大切な時間が、思い出の粒に。
(07.04)

*灯りの下で

街路灯に照らされる夜道。
行く先を見渡せる、明るい道。
灯りの下で、自分が浮き立ちつように感じられ、
星たちの輝きが遠くにかすむ。
星の観察で小学生のとき見た空には、たくさんの星があり、
星座を辿るのもずっと容易だったのに。

mixiの機能の心地よさ。
自分の興味のままに、夢中になっていると、
世間なんてどうでもよくなってくる。
それは、明るい街路灯の下にいて、星がかすむようなもの。
大きな大事なことを考えるきっかけを失うかもしれない危うさ。
安全で歩きやすくなったけれど、
私自身が必ずしも望んではいない街路灯の続く道。
星たちの輝きを忘れないよう、
遠くにある大事なものを見失わないよう、心がけたい。
(07.02)

*凛として

母のお供をして、伯母に会った。
入院してしばらく寝ていたはずなのに、それを感じさせない元気さで、
スタスタと歩き、しゃんと背筋を伸ばしてベッドサイドに座っている。
いつも2種類買っている週刊誌を、売店で買ってきたのだという。
90歳になるときき、すぐ大台じゃないですか、という母のことばに、
間髪いれずに、めざしますよ、とのこと。
驚きとともに、心意気に背筋が伸びる思いがした。

後で母に、張り合ってください、と言いながら、
私も人生の先輩を見送らなくては、と改めて思う。
凛として生きる方の姿に、いつも力づけられている。
(07.02)

*この一年

至らないことがたくさんあったけれど、心に残ることが起き、自身 動いた年となった。
放送大学;卒業研究がまとまらない、パソコン不調、これしかできないのは恥ずかしい、いっそ来年きちんとまとめよう、
迷いながらも、結局締め切り直前に提出し、面接審査兼報告会の発表をして完走。きつかった。長かった。
そして、達成感。・・・評価は先生に委ね、来春の結果待ち。
某団体の全国集会;高知に行き、企画をまわして、講師のような役回りをこなす。
参加者の方に助けられながら、汗をかきつつ、どうにか無事終了。
会の後、かねてより行きたかった植物園にでかけ、緑の中でリラックス。いい時間を過ごした。
時間が止まる;いろいろなことを学んだ場所、大学のサークルが活動休止。
子ども時代を診て頂いた元主治医が天に召される。同様に知人も。
俳優や有名な人の訃報で、しばしその方が活躍していた時代を思い返すことも多かった。
グループ展示;友人のビーズ作家が開いたグループ展に、こぎん刺しの作品を出した。
多くが華やか、アクセサリー作品の中、渋いポーチとしおり。
でも目に留めてくださった方があり、買われていったものあり。うれしい。

新たな課題が現れ、やりたいと思っていた夢も待っている。
来年も一歩一歩進みたい。
(06.12)

*願い

実現してほしいこと、やりたいこと。
いろいろな願いのすべては叶わないけれど、
本当に大事ないくつかは、その方向に向かっていく。
ゆったり生きられたらいいなあとつけたHPのタイトルが、
いつの間にか私のスタイルになっているように、
思っているところから、始まり、進むことがある。
だから、その芽を大事にしていたい。
(06.10)

*線引き

いろいろなことが日々起こり、いろいろなことを考えて、
何をどうしたらいいかわからないことがあるけれど。
一旦線を引いてみることが大事だと、ある対談記事に教わる。
今日は昨日の続きだけれど、明日は変わる可能性がある。
そんなふうに、時間の流れに線を引いてみたら、希望が湧く。
だけど、変わらない、変われない自分があったなら、
それを自覚することで一区切りしてみる。
変わらないなりに、自分の目指す方向との差が見えてくる。
それが先への指針にもなる。

目標を実現させるというような、大きなやり方ではなく、
ささやかでもよりよい方向へいきたいと思うとき、
線引きがきっかけになっていくかもしれない。
(06.07)

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