99年雑記
 

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日常返信おおごと今年一年

日常

◎困る質問
普段の生活を訊かれることがあるが、どう答えればいいのだろう。
普段家にいた頃、勤めをしている人から、暇でしょうと言われて、
家にいるから暇だと思われるのは心外だと思った。
何か行動しているから、えらいとも思わないし、
のんびりしている時間があるからといって、暇という事とは違う。
できることができるのが幸せ、ということは、確かだけれど。

◎最近の生活
朝8時前にメールチェックなど(機械任せにすればいいのだが、つい)、一旦休んで、9時頃活動開始。
11時半頃出動、でなかった、出勤。
通勤は電車20分+バス10分+徒歩10分+待ち時間;行き帰りともほぼ座れる
勤務時間は12:50〜17:00。途中10分休憩あり。
仕事内容は、パソコンを使い、データの変換や書類作成。
17時退社。帰宅途中でほぼ毎日買い物(一度に沢山持てないので)。
帰宅後、とりあえず横になる。疲れから眠ってしまうことも多い。(疲れを計るいい機会である)
いい時はすっきり、悪い時はのそのそ、夜の部(まず、ご飯作って食べる)。
後はその時々による。基本は夜型。

することがある平日は説明できるのですが、休日…。あと、勤める以前も、今度ゆっくり書きます。

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返信

いただいたメールや掲示板に思ったことを返すということをして、
そこからまた返事を頂いたときに、自分の経験の狭さ、つたなさを感じる。
私は自分という枠の中でしか、物事を捉えられないのだと。
それぞれの方の思い、生き方、それは周囲の環境にも左右されるけれど、
身体は一つしかないから、私にはここにいて、ここでの経験しか感じることができないし、経験が全て身に付いているかも怪しい。
いただく言葉から、感じ、想像することしかできないけれど、いろいろなことに気づくきっかけをいただいています。どうもありがとう。

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おおごと

この暑い夏、父が亡くなりました。
環境の変化の中で、ようやく少し、やっていかれる自信がついた矢先の時でした。
後悔はいつも、後からわいてくるもの。
時間の流れから、ちょっぴり距離を置きたくなったけれど、
やることがあることは、幸せかもしれません。

*エピソード
病室で、ふと気が付くと、コスモス、黄花コスモスと猫じゃらしが湯のみにちょこっと活けてある。なに?と尋ねると、昨日、珍しく看護婦さんと庭に出て、摘んできたのだと。
予感って、あるのかな。

土曜日、午後、母もいる父の入院先へ。何ができるでもなく、いることしかできないが、夜までそばにいる。
日曜日。夜、雷雨。なぜか父を思う。来週また病院へ行こうと決める。
月曜日。朝、母から電話。亡くなったとの知らせ。とりあえず、会社へ連絡するが、口にした途端、かなしみがどっと沸いてきた。

本人が望んでいたことでもありましたが、延命の処置をする間が無かったそうです。
しかも、母がついていたときでした。
話を聞いて、その時を狙っていたんじゃないか?と思いました。
逝くときは、引き止めようと何をしても、逝ってしまうもの。
本人があまり辛い思いを感じなかったなんて、幸せだと。

会社で過ごしている時間に、思うことが多いです。
父の仕事の手伝いをしていたことが、力になっていると。
今はこうして仕事をすること、その力を生かすことが、供養になるのでは、と。

まだまだ気持ちがまとまりません。
本当に落ち着くには、多分時間がかかるでしょう。
読んでくださって、ありがとうございます。

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今年一年

'99年の個人的三大事件
1.生まれ住んでいた場所を引っ越した 2.就職した 3.父が亡くなった
文句なくこれに決定…!

因みに、昨年の場合
1.パソコンを購入し、新たな世界が広がった 2.ホームページを始めた 3.新聞に投書が載った

こうしてみると、このところ、怒涛の歳月なのかもしれない。
自分の道を見失わないように、進んで行かれたら。

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