ひとりごと (1997年記)
[←もどる]
 医療技術  障害   病室にて   病気とともに 

医療技術

◎治療

 治療ってなんだろう。どうも一般的には健康な状態に近づける事を意味しているように思える。そうだとすると、最初からできの違う身体を持っている者はどうしたらいいのだろう。
 私は健康な状態を志向してはいないので、状態が悪くなった時に的確に元の状態まで回復できればよしと考える。経験を重ねて身体とどう折り合うかが漸く解るようになってきたので、状態が変化すればこれを変えなければならないからだ。それと、苦痛を改善する事は必要だろうが、身体の方を変える方法ばかりでなく、考え方や周囲の意識を変えるという方法もあるのではないかと思う。

◎進歩

 心臓カテーテル検査が、かなり気軽にできるようになっているのだと、同室の方を見てつくづく感じ入る。検査中、BGMを選んで聴く事ができるのだと。
 20年近く前、まだ子供ではあったが、自分が何をされているのか知りたくて医師の方を見ていたら、別の方を見るように言われた。身動きが取れないまま、気晴らしもなく置き去りにされたこちらとしては不安ばかりが募る、長い時間だった。あの頃は、検査にかかわる人たちも必死で、まだ気配りまでする余裕がなかったのかもしれないけれど。

◎臓器移植

 臓器移植のために脳死は人の死と法律で決まった。
 私は、たとえ対象とされて心臓が健康と同じ状態になるとしても、心移植を考えない。
 今海外へ心移植にいくのは心筋症の方が多い。今迄健康な状態と思っていたのに突然命まで限定される病気だ。周囲もそう考え、支援する人間もいる。そこで初めて移植への道が開けることは、問題も様々あるが、覚悟があってできるということでもある。支援する第3者の姿が見えているのである。
 始めから健康ではない状態の者は、本人、周囲ともそのような人とみなしている事もあるだろう。人間関係が知らず知らず限定されていることも多い。そんな中で移植というリスクもあれば管理も必要な方法を選ぶ事は少ないのではないか。
 ただし、肺高血圧のある方の場合、病状が辛い。呼吸が苦しくなり、酸素が手放せなくなる状態で、徐々に体力も落ちていくという。そういう状況に自分がなったら、考えなおす事があるかもしれない。
 それでも、望んですぐにできないものを他の治療と同列に扱う訳にはいかないし、縁(運?)があって命が支えられる事を強く感じさせる行為なので、慎重に進めて欲しい。

◎環境

 今の社会がエネルギーを多量に消費することが環境問題につながっている。自然の回復力以上の負担をかけているためという。
 使い捨ての手袋、注射器、医療器具、紙おむつ。そのお陰で感染症やいろいろな手間が減っただろう。けれど作られたものが一度使ったきりでゴミとなる。検査技師、医師、看護婦、助手、療法士。患者のためにいる様々な人たちの働きで安心していられる。けれど病院という限られた空間の中でのみ健康の回復へ費やされるエネルギーの多いことを感じ、疑問に思う。
 一人の人を生かすためにこれだけエネルギーを使っていいものだろうか、と。病院はそれが解りやすい形で見えるだけで、健康であっても様々な形でエネルギーを使っているのかもしれない。それなら、病気を持ちながら日常生活をおくる人が増えているはずなのに、病院とそれ以外の場所での差が狭まらないのは何故だろう。また、病院は日常から切り離されているだけではなく、建物やシステムなど人工的な空間だが、そこまで徹底した空間が必要な人ばかりではないのでは。


障害

◎車椅子

 乗ると視点が変わる。周りが気を使ってくれる。たまのことだから、いいところばかり見ているかもしれない。
 母と狭い場所に並んで座った時、母の手が車輪をつかんでいた。普通の椅子だったら肘掛けに同じ様にするだろうか。自分で車椅子を動かせない訳ではないのだが。身体ではないが、物でもない。移動手段として身体に準ずる車椅子というものが作り出す空間を実感していた。

 個室で丈の短いカーテンとトイレとの関係に悩んだ時、介助の必要な車椅子の知人のことを考えていた。嫌でも直接人の手を借りなければ生きていけない人たちがいる。それでも自分の気持ちを納得させることはできなかった。
 後に、体験入院で車椅子に乗り患者の気持ちを聴きにきた看護婦に、この件を話そうとしたのだが、うまく話せず、カーテンの下から覗く人などいない、といった反応となって返ってきた。でも何故、病院内外で常識が違うのだろう。普段の生活で見知らぬ他人が行き交うそばでトイレを使うことなどあるだろうか。それに、急にそのような状況に置かれた時とっさに、ドアがある、閉めることができるはず、「閉めてください」と、考えることができるだろうか。
 車椅子などでは歩きにくい街を健康な人より感じとれる、と思っていたが、普段の健康な状態の暮らしから思いもせず施設の暮らしへ、といった感じのカルチャーショックだった。状況の異なる人に理解してもらうことがどんなに難しいことか、ということが身にしみた。

◎障害者

 内部障害というのは、大抵の人が考える障害者という枠からはずれていると思うが、確かにハンデキャップがある。
 身体の動きが悪くできないことがあるという事もハンデだが、子供の頃からその状態だと、動けない事での経験不足が累積される。それは個人的努力では解消できない。
 障害がみかけでわかるものならば、疎外される事もある反面、周囲から手が差し伸べられる事もあるだろう。けれど見えない事で葛藤が内に向かう。できないものだと決めてかかったり、努力が足りないと自分を責めてみたり、日々異なる体調で、甘えと限界の間を揺れつづけている。同じような人たちも沢山いるとは思うが、きっかけがなければお互いに気づかない。
 こういった障害を解消するにはどうしたらいいのだろうか。

◎電動三輪車

 老人向けのものが展示されていたのでシートに座ってみる。学校に通っていた時分にこれがあったなら、通学も楽だったろうし、持ち歩かずに済むようにと教科書を一揃い買い整えることもなかったろうに。でも人と違うことを嫌っていた中学生のころの事を考えると、もっとかっこいい形のものでも使う気にならなかったかもしれない。
 もし必要ができたら使えばいいと思うと気が楽になる。道路の悪さが気になるけれど。ソーラーパネルをつけた屋根をつけて、小雨でも大丈夫なようにしていたりして。


病室にて

 殆どが、私より倍以上生きている人生の先輩方だ。それだけに様々な経験をされているし、戦争や混乱を生き延びているだけに迫力を感じる。耳を傾ける一方だったが、話を聞くのは楽しみだった。一代記、地元の歴史、本気で聞いていれば本が書けたかもしれない。

 虚血性心臓病や糖尿病などは、家系によって頻度が違うということが常識となっているためか、ある看護婦は、お父さんかお母さんは心臓病だったのかと不用意な言葉を発し、一緒にいた母をおこらせた。
 確かに、遺伝子に病気のプログラムが含まれている例もあるが、責任らしきものを家族に負わせる考え方を感じるので嫌なのだ。病気を持っている不利益をさらに大きくしているのは、周囲の考え方もあると思う。
 因みに、一定の割合で病気を持つ者が生まれるという事は、病気も必要なものと考える。たまたま健康に生まれ、たまたま病気や障害を持って生まれる。それだけのことだ。


病気とともに

◎患者団体

 同じような人たちの集まり。けれど今はデメリットの方を強く感じ、積極的に参加していない。
 ひとつは、亡くなっていくものがみえてしまうため。もうひとつは、世間で少数派だからといってここならとはいかない。軽症の人たちの動きについていけず落ち込み、重症の人たちの動けなさに何かできないだろうかと考えて何もできない事に落ち込み、同じような病気を持っているという認識があるだけに、却って小さな差異が堪える。

 後天性と先天性との違い、重症度の違い、手術を受けた年齢の違い(現在は幼い内に症状が改善されるが、私の世代は動けない身体で学童期になり状況の善し悪しで修復にこぎつけられる)。心臓病も様々。状況は様々だが同じ病名の方の姿。それを知り自分の状態を知ることができた。

◎生きる

 病気で病院にいる。よくなるにしろ、ならないにしろ、その人のデータが後の人たちのために役にたったなら、その人の命が今なかったとしても、生きているのだと思う。
 その意味では、病気を持つと生かされるきっかけがひとつ多くなったともいえるのではないだろうか。生かそうという周囲の意志で初めて成り立つ受動的な生かもしれないが、幼くして亡くなった命が、そんな形で生かされ、重症の者が生きられるようになったのだろう。

◎闘う

 闘病という言葉が嫌いだ。身体の状態が悪い時に良くなりたいという気持ちはあるが、それと病気と闘うという言葉はどうしても結び付かない。
 心臓が大多数の健康な人とは違う状態でも、それを含めて自分と考えたいがそれがなかなかできないのは何故かと考えると、周囲との関係が問題になっているように思う。ゆえに闘う相手は病気ではなく、社会であり自分ではないかと思っている。また、病気に目が行くことで他の部分が見えなくなることもあるのではないだろうか。
 病気(障害)だけではない、よく考えれば誰しも生きるための闘いはしているだろう。たまたま見えやすい形であるだけと思う。そう考えたい。病気であることや障害を持っていることをことさら強調しなくても過ごせるようになったなら、もう少し、気持ちに余裕ができるはずだから。

[←前のページへ] メニューへ [病歴はこちら→]