病院タイム (1997年記)

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入院まで 初めての朝 医療 生活 ここで それから

入院まで

 最近心労が続いて無理していることはわかっていた。しかし休めば家族の者に負担がかかる。
 夜、横になっていても脈が早いことに気付く。続くようなら病院へいかなければ。

 翌日(4/9)、体調が悪い時の常でなかなか起きられず、昼過ぎに起き、食もあまり進まない。といってもこの程度ならあったことだ。ところが、溜まっていた流しの洗い物をかたずけ始めると、いつもは難無くできることが、休みを入れないとできない。すぐに立っていられなくなるほどになり、途中で断念して休む。横になっていれば落ち着いている。母は改築中の現場へ出かけたりで忙しく、病院は明日行くことにする。夜は比較的落ち着いていて、翌日は友人と出かける予定だったのでキャンセルの電話をする。

 入院日(4/10)。起きられず、食事をするのがやっと。身仕度をするが、体を起こしていられる時間が短い。上半身がかあっと熱くなり、立てていられないが、横になると落ち着く。
 午後3時頃、タクシーで病院へ。母の訴えですぐ処置室で点滴、採血(貧血検査)。しかし、どうも軽く見られていたようだ。血圧は普段と大差ないが、脈の音が聞こえないという。6時頃、当直のT医師に交代、持病がある事を訴えるが、緊急の患者がいるのか後回しになる。8時すぎ、点滴終了。帰っていいとの看護婦の言葉に追われ、車椅子でトイレを済ませ、玄関へ。横になっていたためか、多少は楽になったようだが。手当を全くしていないので別の病院を、と丁度来ていた救急隊員に母が話しに行く。辛くなり、堪らずベンチに横になる。
 処置室へ逆戻り、点滴、動脈血採血。入院。3F病室へ。酸素分圧が低いとの事で、酸素チューブをする。気分的なものもあるのか多少楽になる。
 10時すぎ、母帰宅。静かにひとりになりほっとする。今日会うはずだった友人はどうしているだろうか。気になるが、ここにいる間はよくなるのが私の役目。


初めての朝

 眠りが浅い。深夜2時頃、点滴替え。夕方から500mlが3本目。水分のとりすぎが気になる。
 5時頃、看護士が採血に来る。持病に関して記した手帳のようなものを持っていないかと問われるが、持っていない。相手は強い口調だ。そんな気のきいたものを持っていたらとっくに渡しているのだが。答えるだけでぐったりする。早朝10cc、それも右手は点滴中で、血管の細い左での採血、難儀するなと思ったが、調べなければ何も解らないだろうと、進んで手を差し出す。思ったよりスムーズに済む。何故か看護士は恐縮して、去った。
 ひとりでいるほうが落ち着く。日が高くなっていく。

 個室の部屋は膝から下が見えるカーテンの向うは廊下だ。外の雰囲気が何となく伝わっては来るが、一方で日常生活と異なりプライバシーのないことが気になる。
 慌ただしく顔拭きのタオルが配られる。病院時間が始まったようだが、こちらはまだ混乱していて時間の感覚がなくなっていた。
 お茶が配られた。そういえば昨日の昼から何も口にしていない。点滴で水分は足りていると思うが、飲もうか。床頭台が離れていたので思案したが起き上がり、立って吸い飲みを手にし、ベットの縁に腰掛け一口飲む。すぐに辛くなり、横になったが、暫く堪える。体を動かしたことだけではなく、熱いものを口にしたことも影響したようだ。そこにちょうどT医師が来てこの様子に「無理しない方がいいですよ」。その言葉にほっとしたが、自分の状態がここまで何もできないのかと悔しくもあった。
 食事が置かれる。和食のようだが、食欲どころではない。牛乳は後で飲めるかととり置く。
 トイレへ行きたいとナースコール。車椅子で行くのも無理と思い、ポータブルを持ってきてもらうが、看護婦は忙しそうに去っていった。丈の短いカーテンが気になる。入り口に扉はあるが閉まらないのだろうか。思案したが、再度看護婦を呼ぶのは止め、用を済ませた。
 病室を移動するという。慌ただしい。車椅子に座る。荷物を気にとめ、自分の状況を把握する以外、気がまわらない。3Fから5F、6人部屋へ。ベッドに横になり、ほっとする。母が来る。


医療

 5Fへ移り、程なくして病棟のK医師(後に主治医と決まる)が診察。
 母が点滴を見つめている。こんなに水分をとって大丈夫か。昨日から4本目、私も気になっていた事だ。以前、手術後に心嚢膜に水が溜まったり様々なトラブルがあった事を思い起す。経歴を女子医大へ問い合わせる事もできるのでは、との話になり、母はナースステーションへ。
 婦長との話に居合わせたK医師も加わったという。こちらから女子医大の方に問合わせることにしたとのこと。
 レントゲンのため1Fへベッドごと運ばれる。看護助手の新人二人にベテランが説明しながら動いている。久しくなかったがこのような状況に覚えのある私は、フィルムを背中に入れる際に無駄のない動き。もっとも今他人に動かされたくないので必死だ。
 女子医大へ電話している母の必死の姿が見える。そこまでしなくても、私は大丈夫なのに。
 5Fへ戻り、暫くして今度は心電図、心エコー。ストレッチャーに乗せられ再び1Fへ。段取り悪く、寝心地がよくないストレッチャーで待たされる。
 エコーは時間がかかる検査だ。辛かったらがまんしなくていいと技師が声をかけてくれたが、症状の説明より見てもらった方がよほど状況をつかんでもらえるだろう。とはいえ、終った時はほっとした。
 5Fに戻ると、医師が動脈血採血。
 後、点滴薬が決定され、ようやく能動的な治療が開始された。それはこの日の夕方だったと記憶しているが、時間感覚は、昼以降曖昧になっている。


生活

・食事

 入院後数日は、食欲は殆どなかった。食べるエネルギーすらなかったのではという気がする。そして暫くは、熱いものを口にしたくなかった。配られるお茶なども冷めてから飲んでいた。
食べないとよくならないと声をかけられるのはプレッシャーだ。
 子供の頃、食が細かった。食べるのに非常に時間がかかり、ラーメンなどは食べ終るまでに伸びきっているという感じだった。親は心配なのだろう、食べなさいとの圧力はかなりのものだった。それを鮮明に思い出すとは。
 それにしても、おいしく食べなければ身につかないとも聞く。食欲のない時は体が受け付けなかったり負担になるのではないかと思い、本当に食べなければならないのか疑問に思う。

・ナースコール

 夜中、激しい頭痛で目が覚めた。何だろう、看護婦さんを呼ぼうか。すぐに押せばいいものを、かなり躊躇した。明らかに異状がおきているのに。看護婦はそのためにいるのだろう。今はよくなることが自分の仕事だろう。そう言い聞かせてようやく行動に移る。
 一度押した事で、紐付きで病室から出られない(点滴だけなら普通歩いていいのだが、輸液ポンプのコードがあったため)間は、遠慮なく使うことにしていた。


感覚

 点滴薬の量が減らされていく。それまですっきりしていた感じが、普段に戻っていくようだ。
何もしていないのに足がとてもだるい時期があった。その時は解らなかったが、薬が効かなくなり、血行も悪くなっていったためではないか。いつも血行が悪いために、だるいという感覚は切り捨てられていたのが、今回血流が一時的に良くなったので、感覚が覚まされてしまったのではないか。
いつもは慣れていたものが、いい状態を知ってしまった後に再び元へ戻るというのは、哀しい。

 検査で1Fまで車椅子でいく。紐付きで病室から出られず退屈だったので気分転換、と。しかし、やはり疲れる。気がつくと眠っていたようだ。意識は目覚めたが、身体が眠っている。動かしたくない。母が来て、よく眠っていると言っている。そのまま暫く寝ていた。
 こんなふうに身体だけが疲れたというのも珍しく、疲れていても辛くはない事を不思議に思う。きっと普段は、疲れるほど動いたなら神経も疲れているのでこのように身体の疲れだけを感じる事もないのだろう。


ここで

・病院

 持病があれば専門病院へ行くことを考えるだろうが、ずっとみてもらっている女子医大は遠い。近くで専門をうたう病院という選択もあるが、そうではないこの病院を選んだのは私だった。
 専門といっても万能とは限らない。一人一人は違う人間ということを忘れたり、過去に例のないことが起きたりすれば、専門ということが却って悪い結果になることもある。
 当初トラブルはあったが、直感でここで大丈夫と判断し、間違っていなかったと思う。

[参照:持病→]

・説明

 健保が3ヶ月以上使えない薬があるという。選択肢が増えたことを知ったが、ジキタリス(一般的な強心剤)が使えないので現状は大きく改善されることはない。予想していたことだった。
 医師に向かい説明を聞き、このまま自分も社会も変わらないとすれば社会的に生きるのは辛いなぁ、と感じた。病院は命を生かし、社会に向かうまでの支援しかできないだろう。しかし、やり場のない気持ちが心を捉えていた。
 生理のことを質問された。女子医大では小児科のせいかきっかけがなかったのか、聞かれたことがない。医師の側からの知ろうとする意思に安堵感を覚えた。


*それから

積極的な治療が徐々に不要となっていく。こうしてよくなってきた時、病院という場所にいることに納得できなくなっていった。どうしても治療の必要な方へ医療の援助が向かう。自分にその援助は必要ないことはわかっているのだが、一方で体調を崩す以前と同じにしていていいのか、不安だった。
 自分の中では今までの自信が崩れていて、それをどう修復していけばいいのか分からなくなっていた。それなのに周囲からは無理せずマイペースを求められる。他にしようもないのだろうけれど、体調が悪くなったときに安心していられる場がほしいと願った。
 積極的な治療の必要ない者には、家しかないのだろうか。改築工事が遅れて落ち着かない場所になっている我が家。自分の弱さをつくづく感じ
た。

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