2016/9/23-10/27 up  [もどる↑]
私が心臓病のわけ
     

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病気(障害)のある子どもを産んだ痛みを抱える親御さんの姿を見ると、
違うんだよ!といつも言いたくなる。
本当は、病気(障害)なんかじゃないもの。
人それぞれ、顔の造作が違うように
ただ、心臓の形が違っているだけだもの。

そう、あれは私の体が出来はじめた頃。
形が変わっていくのが不思議で不思議で。
そこが心臓になるともわからずに、
ここ、ちょっといじってみたら、どうなるんだろう?って。
触ったら、あれあれ??なことになっちゃって、
あわてて戻そうとしたら、もっとどうしようもないことに…(泣)
やっちゃったんだよね。いじっちゃダメだったんだよね。
こんなになっちゃったよ、どうしよう…、って、すぐに伝えればよかったのに、
そうすれば胎内で起きる計り知れない力でフォローしてもらえたかもしれないのに。
自分のせいだ、なんとかしなきゃ、って思って、伝えられなかった。
だから、この身体で生まれてきたんだ。
お母さんに、家族に、苦労かけて申し訳ないって思うのは、私の方。

不具合があるのに、生まれてこられたのは幸運なこと。
だから、いつもうれしかった。
たくさん食べられなくても。動き回れなくても。
心臓病と診断され、長くは生きられないと言われたとも知らず、
食べない、歩きださないで心配されたことも気づかず、
穏やかな毎日が、楽しかった。

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でも、いつまでもそうしてはいられなかった。
誰しも、家庭内から、外で過ごさなければならなくなるから。
家では自分のペースでいられるけれど、外ではそうはいかない。
だから、緊張するし、うまくいかないことが嫌になったりする。
どうしたら、周りと上手くやっていけるのか、
方法を見つけることも、実践することも、難しくて途方にくれる。
周りと同じにできないなら、周りと違ってもいいではないか。
でも、それで本当に大丈夫なのか。
疲れたら休んでもいいというけれど。
集団の中では合わせる必要はあるのではないか。
それはどこなのか、何なのか、どうすればいいのか。
様々な疑問が浮かび、身動きがとれなくなる。
そんな学校時代。

評価される立場でも、支援の必要な子どもでもない、
私が私でいられる時間がたくさんあれば、
その間は、劣等感も社会的な不利も関係ない。
けれど、周りと同じようになりたいと願った私は、
できないことをできるようにすることばかりに注目し、
自分の強みを活かせず、疲れ果てた。

そんな葛藤はもどかしいが、無駄ではない。
当時は苦しかったが、大事な気づきをもたらした貴重な時間。
私にとっては必要なこと。他の人とは違う、これが私の若者時代。
見ている方がつらいものかも、と渦中から離れた今はそう思う。
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***

私が病気とされるのは、人間だから。
他の動物なら、未来を予測して悩むことも、自分を変える努力もせず、今を生きるだろう。
もう一つは、大人になること、高齢になるまで生きることが当然という世の中だから。
健康な人と同じように過ごすのは難しいとみなすから。
医療技術がこれほどない国、医療を受けることが難しい地域にいれば、見方が違うはず。

私は、生まれれば必ず、この世を去らねばならず、早いか遅いかの違いがどれほどのものかと感じていた。
その人にはそこが去り時というポイントが、きっとあるのだろうと、10代の頃から思っている。
それが何歳であれ、去り時には、どんな力をもってしても止められず、
事故なり病気なり何か理由になることが起こり、逝くことになるのだろう。

同年代や年下の病気仲間が幾人もこの世を去った一方、
手術不可能で、今の医療でも出産を止められる状態の、父と同じ昭和一ケタ生まれの知人は、
60代半ばで去った父より長生きした。主治医に内緒で出産し、立派に育て、旦那さんを見送って。
可能性は本当にわからない。
だから、選択しなければならない時は、状況をみながら自分の感覚で決め、
起きたことを引き受けていくことがすべてなのだと思う。
(出産に関しては、生まれてくる命への責任が長期にわたるため、一人では負えないことを忘れずに)

私が障害者といわれるのは、社会が人並みでいることを求めるから。
求められることができなければ、周りから価値を認めらず、就職できない。
ある程度のことができなければ、生活を続けていかれない。
だから、障害と名付けて対応しなければならなくなる。
それが動物であれば、不自由さや不利がどうあろうと、できることをしていくだけ。
深く考えず、その時の状況の中で精一杯のことをしていくだけ。
人間は、ややこしい。

当たり前に生きることが、人間だから、難しい。
今、この世にいること。それだけで選ばれ、満たされているはずなのに。
もうこれ以上、分け、名付け、分析し、難しくするのはやめてほしい。
一日を慈しみつつ生きていこう。
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