最終更新日:2011/12/31  [もどる↑]
2011年雑記
余震  冷たいのではなく  遥かな先  先生へ愛をこめて(診察編)  先生へ愛をこめて(講演編)  退職  

余震

来春からの国の予算が決まるのは、毎年末。
財布の紐を握る財務省と、予算獲得する側との攻防の中、厳しい財政から育成医療が一部後退するかもとの話があった。
医療費負担が重く病気の子どもの手術ができない、そんな親御さんたちが働きかけてできたのは40年ほど前。
それが、年末に予算が認められなければ4ヵ月後には受けられない人が出るという危うい制度になっていたとは。
そのことに気づかなかった不覚。思えば障害者自立支援法の改正の時からその危うさがついていたのだ。

今回は制度は今のまま維持されることになったが、もし変わっていたなら、県や市で行っている子どもや障害者の制度にも負担がかかるので、自治体の予算がなくなり、そちらの制度も維持できなくなっていたかもしれない。
国にしたら多数ある制度のほんの少しのことでも、広範囲に影響が及ぶ。
広報の下手な患者会。その問題点は今は措いておこう。

育成医療ができた当時と違い、今は他の医療費支援もあるので、当時ほどは困ることはないだろう。
(当時は手術に何百万円も必要だったが、健康保険の使える治療なら3割、他に高額療養費や自治体によって子どもや重度障害者には助成がある)
それでも、高額療養費は月〆のため、月末から翌月にかけて入院すれば負担は重くなるし、
専門治療が必要なら病院が遠く、子どもでは親がそばにいなければならないから、共働きならどちらかは働けず、その面負担が重くなる。
病気のために家族が貧困にならないような制度があれば。

障害者総合福祉法が作られている。
難病・障害という枠に関わらず、困っている人に適切な支援を望むなら、今の制度を変えることも必要になるだろう。
今は、制度を受けられるのは低所得者だけ、この病気だけ、これこれの検査数値だけ、というものさし。
でもこれからは、その人のおかれた環境も総合的に測れるメジャーがほしい。
いろいろな流れがあり複雑でわかりにくい福祉制度。
これを期に多くの人が関心を持ち、それぞれの立場から意見を出して、いいものをつくれたらいい。
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冷たいのではなく

大震災。大津波。原発事故。大きな破壊力に見舞われた今年。
助かると助からないの差を実感した人がたくさんいる。
人を助けようとして自ら巻き込まれていった人を惜しみ、悲しみにくれる人も。
助けようとした人が大事にしたものを思うとき、失ったまま生きていくことよりも、巻き込まれこの世を去ったことの方が、もしかしたら幸せなのかもしれないと思う。
あまりに悲しみにくれる人がいたなら、そう伝えたい。

被災地の方の話をきくと、その内容に圧倒されてしまう。
それでも参らないプロのカウンセラーの方がいるという。
同調するか共感するかで違うのだという。
共感は、自分と周りとの間に幕があり、同調は幕がないのだと。
自分を守る幕は、自分が自分でいるために必要なもの。
命が危うくなる場でその幕がなくなった時、人助けの行為が自らの足場をも失い巻き込まれるのだと感じた。

今まで幕をよくないもののように感じていた。
少し距離を置いてみることを、ともすれば冷めていると感じてしまうから。
厚過ぎる膜は感覚を鈍らせるから、ごく薄い膜を破れないよう張るといいのだね。
自分の考えとは違う人を認める時にも必要なこと。
自他を区別し、どこかで線引きすることは、決して冷たいことではない。
その人の奥にある想いの方をしっかり見ていたい。
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遥かな先

私が長生きを望むとき、医師は心臓移植や補助人工心臓、再生医療に言及する。正直そのような話があると、先はそこまで厳しいのかと心が沈むが、医師の立場ならその説明はしなくてはならないものなのだろう。
それを私が選択するかどうか。その時点の私の生活環境や医療技術によって答えは違ってくるだろうから、必要と言われた時点で答えを出すしかないが、今なら価値観が合わないので選択しないと思う。
心臓の修復手術にしても、それまでの流れを大きく変えるもの。私は感じ取った体調を経験的に判断して周囲の状況と折り合いをつけて生活している。おそらく体内でも足りないところをフォローしつつ折り合いをつけてやっているはず。それを一旦崩して再構築することになる。
まして、先端的な治療になれば、費やすエネルギーも費用も大きい。そこまでしてやった方がいいものなのか。
医学の進歩で重症患者が当たり前に生活できるようになったことは、社会に影響を与えている。受け入れる仕組みがないままおかれた患者は問題や葛藤を抱える。小児科から成人期を迎えた患者への医療体制、妊娠出産の問題、医療・福祉制度の利用者が増えたことによる財源など、予測できたはずのことさえ対応は後手に回っている。医療体制が維持できるのか、薬の調達は数十年先も可能なのか。そう考えた時、足元が危ういまま先だけ見て急いでいるような感じがしてならない。
技術的に可能だからといってやっていいことなのだろうか。原発のように先の技術に期待して動き出してから収拾がつかなくなるようなことにならないか。

良い状態へ身体を変えることを勧めるのが今の方向性とすると、何かが足りないままでも折り合いをつけるという方向性もあるのではないだろうか。生まれた時の状態を変えなければならなかったことは受け入れるとして、その先もさらにこの方がいいからと変えていくとしたら、一体どこまでいくことのなるのか。
制約のある中でも充実して過ごしていけるならそれでいい、という価値観を多くの人が持ち、生活環境が許すなら、身体を変えるという発想は減るだろうし、精神的にも楽になる気がするが・・・
肺高血圧があっても自分の子どもを育てて70歳まで活動的だった父と同じ生まれ年の方、酸素を吸いながら患者会の集まりに参加する同じ病名の年配の方。そんな先輩方に近づくことはできないのだろうか。

それにしても。手術するかどうか、治療費が工面できるどうか、といった厳しい選択は昔もあった。技術が進み多少内容は違っても、選択からは逃れられないのだろうな。
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先生へ愛をこめて(診察編)

主治医の変更で初めて診察に伺った時のこと。すぐに先生から質問された。症状の有無でなく、前の先生の方針に対するもの、何故その質問をされるか戸惑い、しどろもどろ。
やりとりで、それまで適応しないと言われていた再手術を念頭にしていると察せられた。
それは思いがけない展開におかれ、いわば10歩先を行く先生を追いかけているような感じ、いくら急いでも4,5歩分しか追いつけないようなものだった。
やりとりを言葉だけで見れば、話を受け入れていない、理解していないと思われたかもしれない。けれど内心、意図が見えなくて適切に答えられない自分がもどかしかった。
医学の知見や経験から、病気の先行きを予見していい方法を考えてくださっているのだけれど、自身の感覚や生活の状況を大事にしているこちらからしたら、私のことなのに私をおいて進んでいかないで、と言いたくもなる。が、立ち止まる間もなく進んでいく。

心房細動が起きているとのこと、エコーをし、今まで指摘されなかったものが写っていて、その対処で入院も必要とわかった。
状況があまりに覆ったので、それまでの通院は意味がなかったのかとか、これからどうなるのか、どうすべきか、家族への説明はどうしよう、など一気にいくつもの問いが浮かんだ。
人生が海へ向かう川の流れだとしたら、緩やかな流れに身を任せていると分岐点すぎでいきなり急流(激流か?)が現れた感じ、流れに巻き込まれまい、危険を避けるため周囲を見渡さなければ、といった心持ちだった。
そうしてひととき動きが止まったところ、説明を理解していないのではと受け取られた。そうではなく、状況を上手く消化する時間が必要だった。
疑問のうちで理解してもらいやすいと思えることを言い、その後いくつか時間稼ぎのように言葉を出すうち、消化できてきた。
途中の時点を、受容できていないと言い表すことができるかもしれない。しかし私にしたら必要なプロセス、その過程が大事なのだと感じた。

先生のスピードは、私(多分殆どの患者)には速すぎる。
思いがけない展開とはいえ全く予測しなかったわけではなかった。学会で聞いたフォンタン再手術の話題、生活環境の変化などで不調ゆえ不整脈があってもおかしくないこと。
それでもなお、ついていくことができなかった。気持ちの準備が全くなければ理解できないモヤモヤを家まで持ち帰っていただろう。
常に先を行く主治医。患者は追いつくように(説明を理解したり、疑問を伝えたり)努めていかないといけませんが、時折間が開きすぎていないか振り返っていていただけたら幸いです。
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先生へ愛をこめて(講演編)

患者向けの講演会で、講師の先生の伝えたいという想いをひしひしと感じながら、早すぎてついていけず、残念な想いをした。(昨年のこと)
話の持っていき方はとてもよかった。解りやすく語る努力がみえた。けれど、略語や専門用語はどうしても出てくる。手元に資料がないのでそのまま流れていく言葉の内容をつかもうとすれば、話が先へ進んで理解が追いつかず、後で確認することもできない。
患者と医師とはふだん過ごす時間の密度が違う。先生方は早い時間で判断できるよう、環境によって鍛えられている。専門用語で話をするような独特の文化の中にいる。
ふだん家庭で過ごしていたり、体力がなく疲れていたりすることの多い患者は、ゆっくりとしか動けない。理解の面でも同じこと。まして、慣れない話題を標準の話し方でされてはスピードが速すぎる。
そこで、T話し方は標準よりゆっくり、U資料を配布する、V内容を詰め込みすぎない、これで患者も理解しやすくなる。この上に質問に答える場があると最高。
せっかくのご講演が伝わらなかったら時間や機会がもったいない。ご配慮いただけたら幸いです。

退職

去年くらいからいろいろと考えた末、休養期間をとることに決めた。(およそのいきさつはこちら)
勤続年数が増せば、経験があるからと重要なところを任されたり、いろいろできるからと思われたり、負荷が増すけれど、嫌でも体力は年々落ちていく。
このギャップをどうしたら解決できるのだろう。
短時間勤務という配慮を受けても、その人にとってはまだ負担が大きくて、その中で頑張りすぎて倒れたら、それは病気のせいなんだろうか。
しんどいと感じながら働いて、結果的に亡くなるまでいってしまったら、それは過労死ではないだろうか。
とにかく身体を壊すまで働くことはできないから、先の道を考えたいし、やりたいことをやっておきたいと思った。
福利厚生が備わっている会社でも、社会システムは健康な人を基準にして作られているから、私にとっては充分頼れるものではない。
甘えず倒れずの間で上手く働き続ける方法を、どうすれば作ることができるのだろう。
システムに頼らない新たな道を模索していくことも考えないといけないのかもしれない。
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