作成2012/6/6・更新:2012/12/31  [もどる↑]
先天性心疾患の人が長く勤めるために

12年勤めた会社を退職した。
理由を問われたなら、「体力に限界を感じて」「新たな道へ進むため」と答えるが、本当のところそれだけではない。
病気があるから仕方ない、自分に力がないから、とどこかで諦めてはいないだろうか。
長く勤めたいという当たり前の望みを、自身の力だけで実現するには高いハードルがある。
そんな気持ちから、きちんと経緯をまとめておこうと思った。
まとめながら、“病気(障害)に甘えていたのでは、社会人として甘かったのではないか”と感じ、見せるのは恥ずかしくなった。
けれど、病気(障害)があることで陥りがちな間違いは、当人と周りの双方にあり、
結果的に長く勤められないことを、「仕方ない」「もっと頑張れば」と言うだけになっているのではないか。それが繰り返されているだけではないか。
諦めや後悔だけでは何も変わらない。会社に長期勤めることのハードルが高い昨今、何をしていけばいいのか。一緒に考えていただけたらうれしい。
■患者会会報への投稿 ■雇う側にお願いしたいこと ■勤める側で心得たいこと
投稿原文(注:2011年秋時点の記述です)

 この夏、12年間勤めた会社に退職届を出しました。職場の方には様々な気遣いを頂いたのですが、勤め続ける難しさを感じながらの決断でした。
 私は今40代、病名は三尖弁閉鎖症、フォンタン手術を32年前に行い、14年前から不整脈を薬でコントロールしています。

○職場環境
 会社とはハローワークの障害者向け面接会で出会い、パート扱いの求人に短時間勤務の希望を出してOKとなりました。通院先の東京の主治医に話すと、県内の小児循環器の先生を紹介くださいました。会社に近い救急病院でしたので、幸運にも体調を崩しても万全の体制ができました。
 先天性心疾患の人は初採用のため会社も慎重で、事前に職場のリーダーや看護師と打ち合わせの機会をくださり、私も安心して入社できました。
 技術系の男性の多い職場で男性陣は皆女性に優しく、女性陣も和気藹々。上司や年長の女性が折々に声をかけてくだいました。業務はパソコンを使った書類作成や文書管理システムへの登録作業で、身体に負担のないものでした。中国語の書類を打ち直す作業もありましたが、学校に行かれなかった頃によく漢和辞典を見ていたので、その時得た知識で仕事が捗りました。本当に思わぬことが役立ちました。
 通勤は電車とバスで片道1時間ほど、平日週20時間の勤務でした。当初は午後のみの勤務を、週4日×5時間に変更して頂きました。週の半ばに休むことで身体の負担を減らし、通院に休暇をとらずにすむよう考えてのことでした。午前中に対応が必要な業務を頼まれ仕事の幅が広がるというメリットもありました。
 3年目くらいまでは頻脈が止まらなくなったことが数回ありましたが、その都度会社近くの病院で対応して治まりました。勤める前より不整脈を感じることは増えましたが、薬を増やして対処できました。薬は家の近所のクリニックでもらいましたが循環器科ではなく、年齢を重ねて何かあったらという不安が出てからは東京の病院に投薬をお願いしました。
 人付き合いは苦手で体質的にアルコールも飲めませんが、職場の飲み会にはほぼ毎回参加しました。いつもパワフルな飲み会になり、職場ではみられない同僚の姿に楽しく過ごしました。逆に他の方からは“飲めないのにいつも参加している”とインパクトが強かったようで一目おかれました。
 上司が変わった時には、こちらから病気のことを話す機会を作りました。受け止めてくださらない方もありましたが、相手のスタンスがわかりよかったと思います。

○下り坂
 時に自身の力のなさを感じながらも自分に適した環境を整え、2ヶ月ごとに雇用契約の更新を重ね、仕事を続けてきました。けれど少しずつ体力が落ちていたようです。苦手な夏の暑さをやり過ごし身体が楽になる頃、今度は意欲がまったくなくなるのです。暑い時期に無意識に頑張った反動なのでしょう。身体は楽になっても動けないつらさから復活できる時期が年々遅くなり、3年ほど前には1,2ヶ月休養期間を取った方がいいと考えはじめました。しかしちょうどその頃、半年期限のまとまった仕事を頼まれ、その後も人手不足から休養を言い出せなくなりました。
 一方、10年勤続表彰を受けられる時期に呼ばれず、規定を見るといつの間にかパート社員は勤続表彰の対象外となっていることがわかりました。また、気がつくと職場の全員参加の勉強会が途中出席するしかない時間帯に設定されるようになっていました。
 会社近くの病院では診て頂いていた先生が退職し、後任の小児循環器医は大人になった患者は診ないと言い、非常勤の小児心臓血管外科の先生へ回されました。診察はして頂けますが安心して駆け込める場所ではなくなっていました。
 そうして契約更新を憂鬱に思うようになっていたところ、今年、仕事上組んでいた方が他部署へ異動と決まり、私が参加できない場で発表されました。業務の負荷が増すのですが事前説明はありません。今の上司は海外出張など多忙だったために話をする機会をつくれず時期を逸していましたし、長く携わっている業務で上司もあまり気にかけなかったのかもしれません。そこで、体調の悪い時期は続けられないかもしれないと伝えたのですが、対応策はとられず、何かあった時の代わりがいない状況もあり、限界と感じて決断しました。

○まとめ
 様々なことが重なり辞めることになりましたが、学校を休みがちだった私が体調を大きく崩さずいられたのは、周囲の配慮や対応できる病院の存在が大きかったと感じます。このような環境を整えれば心疾患があっても充分勤め続けられるのではないでしょうか。

 ―環境として必要なこと
・ 病状に応じた短時間勤務ができる
 手帳の等級でなく、その人のその時の状況での判断が必要
・ 近くで的確な医療が受けられる
 不安を減らし、軽い不調程度で済めば全力で仕事に取り組める。そう考えれば医療だけの問題ではない
・ 通院する時間を確保できる
 会社の理解を促すため専門医へ通院が必要な患者には通院休暇がほしい
・ 障害を理解する上司か相談役的な方がいる、声かけがある
 細やかに気配り頂けると短時間勤務でも職場の一員と感じられて心強い
・ ポジティブでおおらかな社風
 失敗したらフォローし、できることをしっかりやればよいと感じられれば萎縮せずにすむ
・ パートも他の社員と同じ福利厚生がある
 正社員並みの動きはできないが身体を労わり長く勤めたいと考えても、待遇の格差が大きくてはモチベーションを保ちにくい
他・産業医にも疾患の知識があること
 検診で再検査となり産業医に会った際、病名や手術したことは伝わっていたが現在も通院中とは思われていなかった。先天性心疾患で病状悪化した人がいても成人先天性心疾患の医療機関に繋いで頂けないと感じた。

○これから
 無事に勤めを終えほっとしたところに、病院で治療が必要とわかり、そのタイミングに驚きました。休養後、どのような働き方をするかはわかりませんが、身体を労わりながら自分の道を進んでいきたいと思います。

○若い方々へ
 最後に。中卒(通信制大学在学中)で30歳近かった私にもチャンスはありました。幸運なのかもしれませんが、無理と思っていたら道は開けなかったはずです。みなさんも大事な望みは諦めないでください。諦めずにいれば、何かの形で道は開けると信じています。
[先頭へ↑]

●雇う側へお願いしたいこと
1.休みが多少長びいても仕事が滞らない体制
2.通院休暇
3.仕事量の調整
4.声かけ
5.短時間勤務者への勤続表彰や福利厚生の充実

1;予測できない病気や怪我などは、誰にでもあり得る(会社の危機管理対応となる)
2;勤め始めは有給休暇がない。短時間勤務のため勤務時間外に通院できると誤解する方がいた(健康な人のように動けないから勤務時間を短くしており、その時間を日常活動に充てるのは難しい)
3;常に体調との折り合いを考えているため、短時間〆の仕事や、仕事量の増加は負担が大きい。ある程度予測できていれば工夫して頑張る余地がある(ただし、短期決戦が望ましい)
4;体調がよくない時ほど目の前の仕事が最優先となり、それだけで手一杯となる。周りの方から声をかけられれば、一息つけるし、負担の重さを訴えることもできる
5.仕事に対するモチベーション維持、また、生活の厳しさを減らして力を発揮するため、長期間継続して働く場合には特に必要


●勤める側で心得ること
A.自分が動ける範囲を把握する
B.無理な時は速やかに伝えられるようにする
C.対人関係のスキル不足を補う
D.ポジティブ思考を身につける
E.相談できる人を確保する

A;どこまでが無理のない範囲か体調のサインなどがわかれば、仕事と折り合いをつけやすい
B;頑張りすぎて結局できないと、周囲で誰かがフォローしなければならなくなる
C;経験不足の部分での努力、疲労のため対応できない時にはできうるフォローをするなど周囲への気配りを
D;できないことがある時に自分を責めても時間の無駄。できなければごめんなさい、できることを考えたい
E;胸に溜まったあれこれを聞いてくれる人がいると、自身の力を発揮できる
[先頭へ↑]

[←もどる] ||| 悠メニューへ⇒