2003年雑記

最終更新日:2003/12/31

 
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ハビリテーション

リハビリは、健康だった人の障害を元の状態を目指す意味がある言葉。
元から病気や障害のある人は、健康な状態を目指すのも難しい。
そこで、元に戻すという意味の「リ」をとった、
ハビリテーションという言葉が使われるそうな。
略したら通じなくなりそうだから、このまま使うとして。

元々が違うというところから始めるとすると、
一体どこに向かって、何を目指していけばいいのか、
それを探すところから始めるしかない。
一人一人、大事にしていることも、したいことも、異なるから、
それに応じた援助をするのが、いい援助なんだけれど、
元々の生活基盤ができていない、子どもの頃からの障害は、
その点、つくづく厳しいなあと思う。
いつも手探りで道をつくりながら進んでいるような。
道をつくって後の人に案内することしか、私にはできそうにないけれど、
もっと目を向ける人が増え、支援が行われるようになれば、
もう少し暮しやすくなるだろう。

そういえば、デパートのようなところ、上りのエスカレーターの先に
上階の床がないという夢を、子どもの頃によく見た。
上っても安心して降りることができないその風景、そのまま社会との関係という気がする。
ない床を作るところから始めないといけないのだから、大変なわけだね。

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受容

病気をしっかり受けとめている、と言われることが多いけれど、
自分では、よくわからなかった。
でも、考えてみたら、病気に関するプレッシャーが、少なかったと思う。
病気でかわいそう、という感覚は、母にはなかったらしいし、
親戚や周囲の大人たちからとりたてて言われる機会もあまりなかった。
そして、予後に関して厳しいことが書いてあった「家庭の医学」や
子どもの心臓病の解説本が、手の届くところにあったので、
自分や病気への興味から、自然に手にして、読んでいた。

「家庭の医学」には、一時はまっていて、本当に様々な病気があると知ったし、
自分の病気は脇において、この病気でなくてよかった、
実は健康という状態はとても少ないんじゃないかと感じるきっかけになった。
こんなことを感じる私、本を置いておくような親だからこうなったのだろうか。

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リハビリ

私にも必要なものでは、とどこかで思っていた。
そう思ってもいいという裏付けをみつけた。
(患者学のすすめ/鶴見和子・上田敏/藤原書店)

一般に、リハビリテーションは、機能回復訓練のように思われているけれど、
それは広いリハビリの中の、一部でしかなくて、
本当は、身体に不具合があっても、制約があったとしても
よりよく生活ができるように、方策を講じていくこと。
その中には、社会生活技能=対人関係の技能なども含まれるという。
命を永らえるだけならば、医療の力で容易になってきたけれど、
社会的に生き永らえるためのものがリハビリなのかもしれない。

日常生活で困っている人は、どうしても必要だから、
動作ができるようにと周りの支援も受けやすい。
手足が麻痺している人が、動作ができるようになれば、
本人にも周囲の人にもよくなったことが、とてもわかりやすくて、
だから注目されて、そういうもの、それでいいものと思われる。

だけれども、もう少し広い範囲で、リハビリが行われるなら、
病気や障害のある人と社会とのつながりがもっとしっかりしたものになる。
社会生活技能の不自由さは、障害のある側からみても、わかりづらいし、
周囲も、支援できるものだとは、なかなか思えないかもしれないけれど。
医療技術はこれほど進歩したのだから、
本当の意味でのリハビリも、もっと注目されて、関わる人が増えてほしい。

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ユニーク

ユニークハート、心臓病のことを表す言葉にしたくて、リンク集で使っている。
ユニークフェイスから思いついた言葉なのだけど、ご存知ない方の方が多いかな。
顔にやけどや痣があると、身体としては支障はないけれど、
視線を浴びたり、傷つく言葉を投げかけられたり、避けられたり…
社会の中で、そんな不自由さがあるという。
だから、そのことを知らせたり、避けずに考えていったりするために、
ユニークフェイス(独特の顔)と名付け、ネットワークを作ったのだろう。
どんな不自由さがあるのかを、知らせる活動は、ちょっと見習いたい。
病気という、治療しないといけないとか、特別であるというようなイメージから離れて、
自分の身体と折り合いをつけながら生きていくすべを得るために、
自分の一部である、ちょっと変わったかたちの心臓のことをアピールするのもいいのでは、と。
先天性心疾患や弁置換など、ある程度安定した状態の人には、病気という言葉はちと重い。
ユニークなハートの持ち主だからと思ったら、人にも軽く伝えられそうに思ったり、
なんだかホッとしたりする。
そして、仲間と一緒に、どういう不自由さがあるのか、本を出したり、広く伝えることは、
ユニークフェイスを見習えば、できるんだと思えてきたり。
でも、考えるだけで先へなかなか進まない。同志はいないかな。

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理解

理解ある親だったんだね。同年代の人にそう言われて不思議だった。
確かに立派なところもあったと思う。
でも、どんな親も自分の気持ちの落ち着くところを求めて必死なのだと思うし、
子どもも自分が生きるために必死なわけで。
それがうまくマッチしていたり、伸びる方向の抑えられることが少なければ、
幸運に伸びやかに育つのだと。

身体が弱かったから、気持ちは理解しているつもりの我が親、
だから逆に、私自身の感覚が見えなくなってしまったところがある。
私のために必死になる親に、遠いところで冷めていた時も多かった。
育てたり、育ったりすることは、一筋縄ではいかなくて。
理解するしないではなく、理解しようとすることのほうが、大切。

病気であることが認められていても、
世間と接点を結ぶ方策を本人が知らなければ、箱の中だけの幸運。
健康な人と同じにと求めることは、辛くても大事な鍛錬。

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患者団体

同じような人たちがいる安心感は、他には変え難いもの。
けれど、同じだけれど違う部分を捉えて、比較する気持ちも働く。
病名が同じでも、体力があったりなかったり。
周囲の環境がよかったりよくなかったり。
人より調子がいいのに何もしてなくて怠けているように思ったり、
自分が恵まれてないと嘆きたくなったり、気持ちが揺れることもある。
人それぞれ、と思えたら、気持ちが楽になるようで。
人それぞれというなら、何も同様の病気ということにこだわることはないのでは。
そんなこともちらりと思い、付き合いのスタンスが未だに定まっていない。

先天性心臓病の患者団体は、親の会の中にある。
大きくなった子どもたちのサークルという感じ。
親の会は、子どもにいい環境を求めることと、親の安心のためにあると思う。
子どもにいい環境、の部分は、患者本人に共通するところもあるけれど、
福祉制度は、20歳未満は児童福祉法の管轄で、20歳を区切りに法律も異っているし、
親と離れた生活を考えた時、必要なものも微妙に異なるので、
別に考えないといけないのかもしれない。
機動力のある親たちの影で、生活で手一杯の患者は悩んでいたりする。

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