2002年雑記
 
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間にて

成育医療に関する講演を聴く機会があった。
15歳までの子どもを診る小児科。国立小児病院では、15歳以上の人がいることができなかった。
でも、継続して医療の必要な場合はどうするか、
重い病気の子ども達が当たり前に生活できるようになり、ようやくこのことが考えられるようになった。
国立小児病院も、国の先端機関として、国立成育医療センターへこの春から衣替え、
病気を持つ子ども達のよりよい生活のために、動き始めた。

子どもの難病は、大人になってもいろいろな科との連携が必要となる。
特に、子どもを産みたいという女性が病気の場合、
産婦人科と母体の病気の知識のある医師が連携きちんとできていれば、
産める体なのに止められることも減るだろうし、
それ以外でも、複数の診療科の知識が必要になる場合も多い。
けれど、一般の医師は子どもの病気を知らないし、なかなかチーム体制もとれない。
そこで、小児だけでなく、全体を診ていこうということになるが…。
身近にそういう病院があれば、かかり続けられて、いいのだけれど。

子どもが病気とわかりショックを受ける親に対してもケアが必要で、
育てていくための援助もしていくことで、子どもにゆとりができる。
そのための対策がまだまだ足りなくて、
いずれ、自分で病気をコントロールしていかなくてはならない本人に対する方策を
考えるまで至っていないのだと感じた。
病気の状態で過ごし、健康な状態を知らず、症状を言うことが難しい本人に対し、
接する時間が長く、敏感な親は状況を確実に見ぬくことができたりする。
医療関係者も、どうしても、そちらへ向かい話しをして、
自分の体のことが話題になっているのに、離れたところに置かれる子ども。

病院にいながら、テレビで通っている学校の友達や先生と会えるようになる、
そのための設備も整った病院。
けれど、そのことで健康な兄弟との生活感がますます離れていきそうで。
そして、それぞれの患者の不安も消えることはないだろう。

大人になり、いろいろなことに気付き、思いを言葉にできる人も少しずつ増えている。
患者の気持ちを医療関係者に伝えるシステムがあったなら、
かなしい思いをする子どもが減るかもしれない。
それと、本気で人を生かそうとするなら、多くの人が関わることと、
それぞれの人の持つリズムに合わせることが必要だから、
それが尊重されるようになれば、もう少し病院にもゆとりができるかもしれない。

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ケア

こころのケアということが言われるようになって久しいが、
病気を抱えて生きている人たちへのケアはまだまだ。
けれど、こんな本が出版されていた。
「糖尿病 こころのケア 〜糖尿病を愛することなんて、もちろんできないけれど〜」
石井 均:監訳/医歯薬出版株式会社

食事制限が必要で、生活のコントロールが厳しい糖尿病は、心臓病とは違うこともあるけれど、
不安やゆううつにどう対処すればいいかなど、参考になることも多い。
ただ、アメリカの本を翻訳したものなので、周囲の援助体制が違うなあとため息。
そもそもが、糖尿病学会の患者向け雑誌掲載の
精神科医や心理士が書いた記事をまとめた本。
そういった環境の違いをつくづく感じながら、
この本がせめて一般の病気解説本と一緒に並ぶようになればなあと思ってしまう。

この本を見つけた医学書コーナーを歩くのは、
肝臓病や糖尿病、腎臓病の生活コントロールの本が並んでいるのを見ているから。
どうして心臓病はないのだろう、という疑問とともに、自分を力づけるものを探している。

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家族

親がきちんと伝えて、信頼してくれたから、病気が悪いことではないと思える。
もし健康体を望んで叶わぬ期待をかけて育てられたら、どんなに辛いことだったろうか。
そして、親がつつがなく生活できる環境だったから、、通学の送迎もしてもらえた。
そう、親によって、ずいぶん生活も体調も違っていたかもしれない。

病気の子どもがいると、家族の絆が強まるという。
でもそうしたくてもできなくて、とっても大変な人たちも、いるはず。
健康な子どもより手のかかる私。余裕があった家族。
でも、絆を強調されると、ないはずの責任を親に被せているように感じる。
経済が悪いからと、様々な援助がいつの間にかなくなり、
病気の人を、家族でしか守れない世の中になったら、怖い。

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通学(昔話)

小学校の通学は、母の自転車での送迎だった。
親の自由な時間を奪ってしまい、申し訳ないという思いは消えない。
今は携帯電話があり、どこからでも連絡ができるけれど、
子どもの頃はそんな便利なものがなかったし、
今は自動車がある家庭も多いけれど、我が家はなかったから、なおさら。

入学当初は、親がずっと学校に居るように言われたらしい。
学校側の不安からだろう。でも、ずっとついているわけにいかないと思ったらしい。
母も身体が丈夫ではなかったから、自分が動けなくなっては、とも思っただろうし、
たとえそばに居ても、何もできないという思いもあったようだ。

始めは学校に居る時間も短い一年生。
その頃はついていて、学校に慣れたら徐々に送迎だけになったらしい(私は失念)。
体調が悪そうな時は一目散に家に戻って電話を気にしたんだろうな。

低学年の頃は、下校時、クラスの子達と一緒に歩いて
自転車にのせた私を運んでくれたこともあった。
大人がいると、子どもだけのやりとりとはどうしても違ってしまうのだけれど、
自分から近所の子と遊ぶことのなかった私には、母の気配りの貴重な時間。

警官に呼びとめられたこともあった。
雨の日、タクシーで出かけたこともあった。
母がダウンして行かれなかった日もあった。
送迎がなければ、学校へ行かれなかった。
送迎なしで行っていたら、きっと体調は低値安定もいいところ。

仕事ならば有給もあるけれど、学校は6日間。
気分的に、どんなに大変だったことだろう。
毎日続ける難しさをつくづく思い、感謝!

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医療

医療事故が隠され、亡くなった患者の家族の訴えで明らかになり、報道された。
院内感染が広がった病院が報道された。
報道で知らされた僅かなことから何かを言うことなど、できないけれど、
医療従事者にあまりに完璧を求めているような論調のような気がして、
何か心が寒くなってくる。

私が子どもの頃、医者はとにかく目の前の患者を助けようと必死でいればよかった。
患者も、生活の質よりもまず、生きるための努力をしていればよかった。
めざすものが、同じ方向にあったから、お互いにそちらへ向かっていた。
でも、選択肢がいろいろあるために、
別のことをしていたらもっといい方向に行っていたかも、とも思うだろうし、
助かる患者が多くなるほど、かなしい結果になった時の辛さが倍加するのだろう。
医療でできることも多く、複雑になり、先々のことまで考えなければいけない今。
医師、看護師の負担はますます大きくなっている。
別の立場の人へ任せなければいけないことも、あるのではないだろうか。

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