update 2002年
この疾患ではトップクラスの技術を持つといわれていた病院が揺れている。
手術だけの関わりではない、一生患者である私からみて思うこと。
病院が優秀と言われるのは、看護士をはじめとして、
検査技師、麻酔医など直に患者に見えない大勢のスタッフの働きもあって成り立っているはず。
それなのに、医師のことばかりが注目される。
確かに医師の腕前、指示が治療の結果に大きく作用する。
けれど、他のスタッフの働きがあるから、医師も安心して動けるはず。
そして、治療は手術ばかりではない。
慢性の疾患なら、日常をいい状態で過ごすために病院を頼りにする。
何か悪いことがあった時の対応がきちんとできることを求める。
健康な人が具合が悪くなった時は、近隣の病院で間に合うが、
もともと疾患がある場合は、それに合う配慮が必要になる。
通常の健康診断にはない検査をして、身体に合わせたチェックを行う必要もある。
そのための専門病院で、この疾患の専門となれば、数が限られる。
だから、重症の患者ほど遠くからでも出かけることになる。
有名だから選ぶということも、多少はあるにしても、
元々の選択肢が狭い中、通院の負担などとも勘案して、患者はその病院を選んだのだろう。
近所の病院の評判を秤にかけて選ぶのとは、重さが違うし、それに見合う役割をしている。
高度医療を行う場としての特定機能病院の指定が取り消されたことで、
病院への優遇がなくなった、ブランドイメージが落ちるという点ばかり言われる。
しかし、特定機能があったということは、病院がそれだけの役割を受け持っていたはず。
事件は確かにいけないし、それで病院の体質が問われることも仕方がない、
けれど、それがどうして特定機能の取消につながるのか。
役割をなくしてしまっていいのか。
このことで、すぐには困らない人が多いかもしれない。
けれど、複雑な病気で保険の効かない治療をしなければならない人が、
特定機能で受けられた、保険で認められる部分の保険負担がなくなり、全て自費になるのではと危惧している。
医療費が他の制度でカバーされる場合もあり、特に子どもはカバーされる可能性が高いが、
もし、病状が悪化し、あまり行われない、保険承認されていない治療でなら良くなる言われたら・・・
そして、自治体の財源で成り立っている福祉制度が、財政悪化で徐々になくなっていくことになったいったら…
そう考えると、不安が募るし、何よりも、重症な人ほど、このつけが回ること。
そうでなくても、重症なら不安になるが、ますます負担が重くのしかかることになる。
このままでいいのだろうか。
患者の気持ちを考えていない…、病院批判の常套句。
だが、病気はいわば緊急事態。患者もパニックなら、病院スタッフも大変。
限られた時間の中、同じ病気でも状況が異なるため、医師は精一杯の知恵を絞り、
気持ちの余裕がなくなった、性格も様々の患者に対応する。
全てを満足させることはもちろん無理だし、多くを満足させるにも余裕がなさすぎる。
専門医は、患者の期待も大きく、勉強もしなければならないので、なおさら余裕がない。
看護士も、努力している人が多いが、やはり忙しすぎ。
基準より多くのスタッフがいれば別だろうが、今の医療制度の中では難しいようだ。
ソーシャルワーカーなど、本来なら他のスタッフに任せるべきことまで、
医師や看護士がしなくてはならない面がある。
病院の仕事を観察し、何を期待しているかを考えれば、批判の行く先は1ヶ所ではないはず。
この疾患に関してはトップクラスの病院だから、そこに関わった患者が大勢いる。
その人たちの経験が、有形無形で今の患者に生かされているだろう。
いい結果、悪い結果。たくさんのつらい思い、そして、うれしい思い。
病気とともに過ごした多くの人の時間、それと向き合った人たちの思いが
間違いなく伝えられてきたはず。
それは、その病院に関わった人たちが、築きあげた財産。
事件があったとしても、その価値が下がることはないはず。
他では得ることのできないその財産を一番のかたちで生かしてほしい。
手術を執刀した外科医。その人に対しての感情はいろいろあるものだと感じさせられた。
立場により、人により、違いがあるものだと。
そして、ふと、思った。執刀医は、親に似ているのではないかと。
そのために、親に対するのと似たように期待したり、気になったりするのでは、と。
両親が命を与えてくれたように、新たな命を与えてくれた人。
その人に何かの罪があったにしろ、そのことは変わらない。
産みの親が例えば犯罪者だとしても、自分にとっては親だというのと同じように…。
今回の事件の新聞報道には、納得いかないことが多かった。
その病院の栄光は過去のもので、もう役割は終わったという報道もあったが、
記者はどの程度の知識を持って書いたのだろう。
これは考えすぎかもしれないが、
重い患者を多く治療することで、社会の負担が増す
(経済からすれば、病人がいることのマイナスは大きい)ため、
それを抑えたいという意図が、もしあるとしたならば、
それは別にきちんと論議をする問題であって、
事件に便乗しているのであれば、見過ごすことはできない。
生まれた時から慢性の経過を辿り、
簡単に予防法も現れないであろう病気だから、
患者が生きている限り、治療の効果や加齢時の経過などみていく必要がある。
そのことをもっと知ってもらいたいと思う。