最終更新日・03/08/17
アナウンサーなど放送関係の仕事に関する学校かと思われたり、
NHKがやっている番組と間違えられたり。そんな放送大学の学生をしています。
いつでもどこでもどなたでものキャッチフレーズがありますが、
そんなところだから、私が学生をできるのです。
通信制との違いなど、記してみたいと思います。
◎大学入学資格が無くても入れる
高卒でなく、大検(大学入学資格検定)も受けずに入学できる。
もちろん、最初は正規の学生にはなれませんが、
規定の単位を取れば、その単位は卒業に必要な単位として生かされる。
通信制の大学にも、似たようなシステムを持つところもあるようだ。
◎拘束時間が少ない
学校に行く用事は、1年に2回ある試験シーズンと、面接授業がある。
通信制のスクーリングは、夏に2週間ぐらい毎日とか、
毎週決まった日に通う必要がある。(もしかしたら、最近は違うかも)
2時間15分の授業5コマ1単位が卒業までに20単位という
放送大学の規定の方が楽だろう。
◎マイペースで学習できる
教養学部ということで、学びたい分野がきっちり決まっている場合以外は、
広い分野を視野に入れて学べるのがよい。
◎体育実技が選択科目
以前は必修だったので、「身障者のための体育実技」の授業もあるが、
選択科目になった現在は、その授業の受講者も少なくなったそうだ。
本を読んだり勉強したりが好きだった。そして、ちょっと学歴コンプレックスもあった。
自分を知りたいということがある。人間を、社会を知りたいということがある。でも、それ以上に…
学校というものへ対する疑問があった。
義務教育、大抵の人が大した疑問も持たずに過ごす時間を違う思いで過ごしてきた。
健康な人と同様に動けないために、学校にいた時間はとても短い。それでもみんな一緒、という建前を通している中にいるうち、気持ちがついていかなくなった。まあ、今で言う不登校のようなものだ。(学校行かない理由を体調のためと思われたりして、状況は複雑だった)
そして、内容は問われずに、年限が来れば卒業、それでいいのだろうかと疑問に思い、中学卒業を前に、留年を申し出たが、結局受け入れられなかった。
そのあたりから来る社会に対する不信感を持って、身近な関わりの中だけでいる、周囲の人たちとかなりズレのある私。でも、このままでいたくはなかった。
できることなら、不信感など解き放ちたいもの。
こうして、私のいた学校(=義務教育の場)からは程遠い学校に入学することになった。
物事をみるとき、一歩退いてみること、一歩踏み込んでみることが大事だということ。
知らなかったこと、先入観にとらわれていることが、なんて多いことか。
勉強していくうちに、興味が拡散していき、収拾つかなくなっていく…。
制約があっても、勉強に取り組む人たちの姿に接して、勇気をもらう。
時間的制約、場所的な制約が少ないということは、体に障害があっても、同じラインでいられる。
そのことで得られる安心感に気付く。[→ハンデがある人への支援]
少しずつですが、勉強する余裕がでてきました。
在学できる年限を改めて訊ね、思うより余裕があったことも知りました。
放大の最高齢の卒業生は、77歳で大学入学資格のないところから始め、正規に入学したけれど10年の在学期限では間に合わずに、再度入学して、94歳で卒業されたそうです。続けることの力を感じさせられ、私も頑張らなくては!
[体力のない人のための…放送大学の歩き方]
*追記
その後、教科により拡大文字のテキストや、字幕付き放送授業がつくられているようです。
また、点訳済み印刷教材のリストがボラグループの手により作成され、学習センターに置かれています。
字幕付き番組(要専用チューナー):'02年4〜9月(一学期)番組表より
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