最終更新日:2003/8/17

*この夏

なんだか変な気候。
梅雨なのか秋雨なのか、なんだかな。
それでも、暑くなって3日目から、セミが鳴き始めていた。

人はふだん、暴飲暴食しても、体調を維持できるけれど、
病気の時は、ふだんの恒常性を保てなくて悪い方向へいく。
地球も、なんだかそんな感じだね。
太平洋高気圧がしっかりしてくれないと、日本は前線や台風の通り道。
全体を見てみれば、あちらで猛暑、こちらで冷夏。
あちらはあちらの気候、こちらはこちらの気候に戻るよう、
なにか治療はできないんだろうか?
(03.08)

*遠い地

短い間では、違いははっきり分からないけれど、やっぱり何かが違うんだよね。
電車の車両がちょっと違っていて、
肌寒くても半袖のワンピースの人がいて、
本州まで出かけるのを反対される持病のある人がいて(道内も広いけど)、
独特の雰囲気を醸しだしている言葉があって。
でも、なんだか爽やかな空気が、一番の違いかな。
また行きたくなったよ、北海道へ。
(03.08)

*耳を澄ませば

晴れた日は、スズメのおしゃべりが軽やか。
ツバメの子の騒がしい声を聞くことはもうないけれど。
雨の日は、シャー、ザーザー、雨風がいろいろな音を奏でている。
セミは、いつ鳴き始めるんだろうね。
ゆっくり耳を澄まして、きいていたいね。
(03.07)

*命の大切さ

このごろ、何か変だと思うの。
人の命がなくなることは大変なことなのだけど、
それに対して、世の中がとても感情的になっていて、
特に子どもが亡くなったときに、激しくて。

例えば、多くの子どもが学校で殺傷された事件。
犯人を許せない気持ちは、わかる。
でも、学校の管理が悪かったから犯人の侵入を防げなかった、
だから学校の先生や運営をしていた国に責任がある、
子どもたちを守れなかったのだから、責任を認めて当然と考えるのは、
行き過ぎではないだろうか。
習い事の教室で同じようなことになると思ったら、
子どもを集めて教えることにもとても勇気が要る。
あの事件で処分された先生だって、
思いもしないことが起きて、自分もケガしたりして、
痛い思いをたくさんしている被害者なのに、
そのつらさを和らげてもらえていないんだよね。

パジャマを取りに行った間に、風呂で子どもがおぼれた事件。
かなり大きく報道されていて、怖かった。
あの親の気持ちを考えたら、他人がなにを言うこともできない。
過失は過失。
でもそれを、あってはいけないこと、許せないこととされたら、
親になることにとても勇気が要る。
あの報道で、子どもを持つことを恐れる人が増えたのでは。

万引きへの対応をして、逃げた犯人が事故で亡くなった事件。
店が廃業に追い込まれたときいて、暗澹とした気持ちになる。
対応が悪い、と集団で言いがかりをつけたようなものだから。
もちろん、亡くなったことを軽く思う人だったなら、
諌めなければならないこともあるだろう。
他にやりようがあった、と思うのは、後からのこと。
何百回、何十回に一度起きたような事柄にまで、完璧な対応はできない。

これほどまでに、なくしてはいけないものだとしたら、
何もさせない、何もしない、囲って、守っておくしかないのだよ。
したくないでしょう、できないでしょう。
なら、許せないと、そんなに責めるのはやめようよ。

こんなことも、少子化の原因の一つかもしれない。
(03.07)

*木々の盛り

梅、桜、梨、ユキヤナギ、カイドウ。藤、つつじ、コデマリ、桐…。
枝だけだった木々が次々に花開いていき、そして緑の中に埋もれる。
花のない時期、そこにどんな木があったかなど、忘れられても、
木々は、季節の中で静かに息づいている。
華やかな花ばかり賞賛され、一時期だけの賑わいを得るその木も、
風に揺られ雨にうたれて、立ち続けている日々を多く重ねる中に、
賞賛の日がやってくる。
きっとそんな日を迎えることができるよ。
今は花でなくても、枝を広げていられれば。
土の中養分をしっかり身に付けていられれば。
(03.05)

*見えないもの

ウイルス。見えない上に病気を引き起こす。
見えるなら、よけることもできるけれど、わからないから、過剰反応も。
…でも、もう少し、人を、身体を、信じようよ。
電磁波。役に立つけれど、悪影響も。
電磁波を出す器具、影響のある器具を作っているメーカーは、悪影響を無くす努力をしているんだろうか。
影響があるのはどういう時か、納得できる説明はできないんだろうか。
そういった説明がないままなのは、不思議だし、変。
そして、周りで何人もの人が携帯を使う光景は、影響よりも不気味さで不安に。
気配。あるんだけれど、測定不能。
他に、気とか、そういうものも、あるんだよ。
ただ、それを感じさせることができないんだよね。
光だって、音だって、においだって、感じるからあるとわかる。
ウイルスでも、電磁波でも、顕微鏡や測定機などで見ることができる。
でも、感じさせられなくても、存在するかもしれないわけで。
そして、同じものを見ていても、同じ色・大きさに見えないかもしれないし、
同じ音を聴いていても、同じ大きさ・音色に聞こえないかもしれないし、
同じにおいを感じていても、同じ強さ・快不快に感じられないかもしれない。
普通はあまり感じないものを感じることができる人もいるかもしれない。
そう、感じることができるのは、いいことも悪いこともあるけれど。
(03.05)

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