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力を貸してください
-病気があっても健やかに過ごしたい--





元病児から周囲に伝えたいことを綴り、ささやかな冊子をつくりました。
こちらにあるのは、抜粋です。
冊子を見たい方は、メールにてご連絡ください。
u_you23*yahoo.co.jp(*を@に変えて送信してください)

おかあさん、おとうさん
おなかの中でびギブアップしないでここまできた私は
とっても強運の持ち主なんだよ。
だから おとうさんとおかあさんに会えたんだ。

病気で産まれてきたことは、
おかあさんやおとうさんのせいではないし、
原因を探して何が悪いと言ったところで
誰がラクになるわけではない。
それよりも。
今は、私に力を貸してください。お願い。

今は医療もよくて、育っていくための力が得られる。
福祉制度を利用すれば、生活もそれなりにできる。
だから、手伝って。

手を借りることを恥じないで、感謝して

病気のために手がかかることがたくさんある。
だから、家族だけでどうにかしようとしても
みんな疲れきってしまうし、
疲れるとつい、マイナス思考になったりするから。
手助けを受けたほうがいいんだよ。
人とのやりとりは気苦労も多いけれど、
快く力を貸してくれる人だっている。

手助けを受けることを恥じないでいて。
でも、感謝は忘れないで。
その姿を見て私は、たとえ自分の力がなくても、
できないときには助けを借りることを怖れずに
自分で生きていく勇気を得るから。

主治医は 親の次に大切な大人

私にとっては、協力して病気とたたかう同志。
身を委ねる大切な人。だから、信頼してください。

病気の治療のできる医師と、ふだん私をみている
おかあさん、おとうさんが いい関係でいたら、
安心していられる。

不満も我慢してというのではなくて。
任せられないと思う時は、別の医師を訪れていい。
ただ、いい関係をつくる努力を忘れないでほしい。
そして、私が病気を理解できるようになった時には、
私との関係が始まるのだから、味方にしてきちんと渡せるようにしてください。

病状が悪くても、あきらめない、責めない

病状が悪いのは、あの時の対応が、××が悪かったせい、
そう思って自分や誰かを責めても、何の役にも立たない。
それより、今よりもよくなるよう工夫してください。

何もできないと あきらめないで。
よくなることを信じていてください。
思い続けるだけでも、きっと力になるから。

痛みは軽くできる

病院での検査や手術は、つらそう。
ちいさい子どもにこんなことを、なぜ?
決断を迫られて、躊躇するかもしれないけれど。
今は大変でも、病気を治めて、将来のつらさを軽くすることだから。

痛みがあったなら、それを癒せばいい。
つらいんだね、痛かったね、と声をかけられれば、
気持ちも軽くなる。
大切な人がよく考えた上で決断したことなら、私も受け入れられる。
どうしても必要なことなのだと、きちんと伝わったなら、きっと時が癒してくれる。

病気以外のことも考えて

病気は私の一部分。注意は必要だから、病気のことはいつも頭の隅に置いていても、ね。
きょうだいがいたら、同じように大切にして。
おとうさん、おかあさん自身の楽しみも。

私を育てることを一番の生きがいにしないで。
一生懸命になりすぎないで。
期待が重くなるから。

私にも、楽しみや知り合った人から広がる私の人生があるのだから。

健康を基準にされたら、つらいな

私は自分の身体しかわからないから、これが標準。
周りからみたら辛そうって思われることも
比べたり、周りに合わせようとして無理強いしたりされなければ、
別につらいとは思わない。
この制約の中でやっていく方法を見つければいいと思うの。

無理強いされたり、かわいそうって思われたら、
私が悪いからかなと感じる。
でも、何も悪いことではないはず、
ひとりひとりの顔が違うように、たまたま病気という身体だっただけで。
何も不自由がなくても、ブスと言われたら、つらいように。
周りからの見方でつらさを増幅させないで。

わがままに思えるけれど

やりたいことは、夢中になるものだから。
それで 後でグッタリ、ダウンすることも。
でも、そんな経験をして限界を知っていく。
しんどそうに思えたら、さりげなく
他へ注意が向くようにしてみるのもいい。
それでもやりたがったら、見守って。

限られた体力の中で、自分の優先順位で動くから、
わがままと思われるかもしれないけれど。
私にとって大事なものがあるんだよ。

何度かダウンしてもめげないのなら、
それは、何があってもやりたいこと。
きっと、つらさを超えた満足を感じている。
やらずにいることの方がつらくてたまらない。

言わないのではなく、言えない

疲れた、つらいと周りに伝えなければ、
手助けは受けられない。なのに言わない。
それは、言っていいものかわからないから。
もう少しやりたい、できるのではないか、
本当に休まなければならないほどなのか。
悪い状態が日常でそれに慣れているし、
日によって異なる体調に、特に我慢しているつもりはなくても、
ギリギリまでいってしまうこともある。
しまったと思うのは、本人。だから、責めないで。

言っていいんだよ、ギリギリまでやってしまったら、
あなたも周りも困るのだよと伝えてほしい。

体育の評価が1でも

どんなに頑張っても、健康な人と同じではない。
学校では相対評価で守ってもらうこともできるけれど、
社会に出れば、頑張りよりも結果で判断されるもの。
厳しいけれど、それが現実。

体育はいろいろな教科の一つでしかないし、
学校の枠の中の判断でしかない。
だから、一つの見方にとらわれないで。
短所も冷静に見て、足りない部分には補うものを、
できないことにはできる方法を、見つけて工夫する力をつけていけばいい。

周りと同じようにしたい、特別はイヤ

注意を向けられたくない、人を煩わせたくない。
それならば、気持ちの治まるような方策を。
あの人と同じようにしたい、とにかくやってみたい。
それならば、やらなければ納得できないかも。

でも、それが思春期ならば。
通院が苦痛になったり、無理をしてでも周囲と同じことをしようとしたり、
自分を試してみようとする。
親への反発もある時期は、自分を考える時期。
病気は否定しようとしても、どこまでもついてくる。
アドバイスは主治医や病気の先輩にバトンタッチ、
任せてみてはどうでしょう。

かなしいことだけれど

どんな人も いつか一度は死ぬもの。
だとえもし、それがつらいものだったとしても
それはたった一回きり。
そして、今までにたくさんの人が通った道。

この世で生きていられることは、
本当はとてもすごいこと。どんな人にとっても。

子どもの日々が輝きを持つのは、
周りの人たちの支えがあるからこそ。
子どもの輝きが生きるのは、
周りにいる人の想いがあるからこそ。

あとがき

病気があると、不便なことはたくさんあります。とくに最近は、社会にゆとりがなく、過ごしにくくなってきました。
でも、身体のしんどさの一部や社会で生きていく時のしんどさは、自身や周りの人の気持ちによって、ずいぶん軽くなるものです。

病気があることは、悪いともいいとも言えません。健康な人でも、生きていく時には何かのかたちで制約やしんどさがあるものでしょうから。
病気のことをとりたてて言われたり、マイナスの部分を意識させられることの方が、つらいように思います。

健康を前提につくられた世の中に、ペースの異なる人を受け入れてもらえたなら。
病気も含めてその人として認められる場があれば、子どもたちも病気とともに健やかに伸び、自身で生きる力をつかめるようになるはず。
そのために、身近な人の応援・支えが、何よりも必要です。

病気があっても健やかに過ごしたい。
病児だった者の願いを、心に留めていただけたら幸いです。

私を育んだものに感謝をこめて。(2006/12/31 up)

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