2000.7.10.update

駅の階段を昇っていると、ホームには次の電車が着き、また人波が階段を昇っていく。
人の流れに乗れないから、途切れてから昇り始めるのに、都心の流れは速く、いつも取り残される。
でも、そばにいつも母が待っていてくれた。
まだ手術をする前、通院時の風景。
一般の人達とは違うことを感じとったのはそこからだったように思う。

自分が心臓病だということは、物心ついた時から知っていた。
親がさりげなく伝えてくれていたようだ。
もちろん、小さい頃は、病名を言えたところで、それがどういうことなのかはわからない。
周りの子達と違うことがあったとしても、自分は自分としか思わなかった。
けれど、それだから、病院へ行き、検査や手術をしなければならないことは理解していた。

大きくなるにつれ、人に追いつくことができない自分にいらだつこともあった。
そう、次々来る電車の人波の中で階段を昇っていた風景そのままに。
そんな時、人の手を借りることはできなかった。
でも、見守ってくれる人がいるのを知っていた。信じていた。
だから、私は歩き続けてこられたと思う。

子どもを育てるのが大変な時代、
心配だからこそ、何かできないかと思い、悩む。
でも、周りが何をしても、歩いて行くのは、本人。
本当に子どもをしっかり見ているなら、そこにいて、先を信じることが、大きな力。
その力は、目に見えて発揮されることはないかもしれない。
だから感謝の言葉を伝えることもできない。
けれど、なによりも大切な、力。
それを見失わないで。

* * *

まだ子どもが小さいうちから、先々のことを心配する。
そんなお母さんを見る度に、焦らないで、と呟いている。
心配したことが起きないことも、思いがけない幸運も。
何があるか、先のことなんかわからない。
だから、今、ゆっくり、でも着実に成長しているお子さんを見てください。

* * *

私を心配する母といた時、感じた。
心臓病の子を生んだ痛みがあるから、こんなにも一生懸命なのかと。
母親が悪いなんて、思わないよ。
私はどこに生まれたとしても、この身体だったと思うよ。
どんな人にだって、制約はあるじゃない。
走るのが苦手だったり、記憶力が悪かったり。
たまたま病名がつけられるようなものだっただけ。
母の身体は、生まれるための通過点。
だから、責任を感じ過ぎないで。

メールやメッセージをくださったお母さんへ
本当は、ひとりひとり、それぞれの思いにお答えしたいのですが、
できない時は、このメッセージでお返事に代えさせて下さい。
でも、いただいたメッセージは全部読んでいます!

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