今だから言えること・・・ココロの行方
2009/06.記(原案2006)[もどる↑]

◆不安と傷と  ◆経験から  ◆親への期待  ◆もがいた後

不安と傷と

幼い頃、小学校低学年かそれ以前から、不安がそばにあった。
いくつかの場面で感じる(起こる)、強い不安。
自分でもおかしいと思いながら、どうしようもなく囚われていた。
そんなこともあって、周りからみたら不可解なこともしてきたと思う。
それがなんだかわからないまま、病気のせいにされていたのかもしれない。
(寛容さが欠けた今の時代では、××障害などといわれるのかもしれない)

本当のところ原因はわからないけれど、医療を受けた痛みもあるのではないかと思う。
でも、必要だからしてきたことだし、受けた傷は消すことはできない。
だから、今、これからどうするかが重要なのだ。

傷は消すことができない、そう書いて、手術の傷跡のことを思う。
手術の傷跡は気になるもの。研究結果も示すその事実は、その言葉だけでは伝えきれない想いを切り捨てる。
傷跡を見せることは、周りの人に病気のことを知らせるものでもあるし、受け取る人によってはつらい経験を誇示されたように感じるかもしれない。
病気がある人には何かしてあげた方がいいのでは?という対応を受けることのある私は、見せるとマイナスと思うから傷を見せたくない。
そんな「気にする」想いは、短くまとめた言葉の中にこめることができない。
そして、受け取る人の思いによって本質が見失われることが、ともすれば多い。
気になるからといって、傷はマイナスなものではないし、本人にとってマイナスなことがあるからマイナスになる、主観的なものだ。
(本人が見た目がよくないと感じていればそれがマイナスだし、私のように周囲との関係があってマイナスということもある。)
だから、傷を小さくする医療者の努力も大事だけれど、それだけでは解決しない部分に目を向けないと、苦しみはなくならない。

不安は恐れたり、囚われたりすると増殖するもの。
だけど、上手く付き合うことはできる、そう思うようになった。
年の功もある。経験がなくて先がわからない(モデルになるものもない見出せない)ことも不安が育つ材料だったから。
そして、どうして不安なのかをしっかり確認することで、新たなことに気づいて一歩進むことができたから。
不安自体は、奥にきっかけというか何かがあるから起こるように思うので、
それを困る方に持っていかないで、上手くいい方向へ向かう力にできたらいい。
短い期間で見るとマイナスなことも、長い目で見るとそうではないことがあって。
子どもの頃、まだ人生が短い中では大きな出来事だった不安も、今は他に紛れたり、いい方の力の源ということも多い。
それは、悩んだ−不安に時に巻き込まれながら向き合ってきたからわかったこと。時間が価値観を変えていく。
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傷を小さくする努力にあたることも記しておきます。
私の経験から、お願いしたいことがあります。
親や周囲の人に対して:患者(病児)のいるところで、先生への不信や医療への疑念を、安易に表さないでください。
特に患者が子どもの場合、一番つらい思いをするのは、子どもなのです。

医療者との日頃の関係で、疑念や不信を感じることもあるでしょう。
でも、医療を受けていなければ私は生きる力を得ることができなかったし、
今後もずっとそこから力を得ていかなくてはなりません。
傷ついたことがあるなら、その分よけいに、つなげる努力が必要になるのです。
(疑念や不信感を表す時には、冷静に対応してほしい。親自身が傷ついているので、難しいことかもしれませんが・・・)

私は子どもの頃、親が付き添う入院生活をしました。
親は病状などの説明が少ないことを不満に思い、医師に対し、本人(私)に説明してほしいと望んでいました。
当時は今よりもそれが叶わない状況でしたし、他のことも重なり、
退院して時間が経ってからも、一方的に医療側がよくないというスタンスの言葉が数多くありました。
信頼する親の言うことの方に気持ちが向かい、医療側の立場へ目を向けることができませんでした。
一人で通院するようになった頃は、人と関わることが未熟な上に、医療や主治医を信頼できず、途方にくれました。
双方の立場が見えるようになり、感情も落ち着いた頃、自分が進む方向を自分の手でつかめたように思います。

親のやりばのなさも充分に理解できます。
でも、体験を共有している患者を道連れにしても、自分が安心するだけで、何も変わらないのです。
不満は、相手に直接ぶつけるべきだし、周囲に働きかけたり、やりすごす方法もあるはずです。
(やりすごすことでは何も変わりませんが、他への悪影響を防げますし、時間を置いてまた考えればいい)
家族は一緒にいる時間も多く、患者側ではあるけれど、本人とは立場が違います。
どうか、患者本人が求める道を、望むことを、邪魔したり閉ざすようなことはしないでください。
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親にしてほしかったこと

・体調やしてほしいことを、周囲に伝えられるようにすること
 待っていてはダメ、言葉にしないとわからない、と言われていて、それはそうだと思いながら、
 体調がよくなくてもいつものことだし、何をどう伝えたらいいかわからなかった。
 だから、小さいうちは、周りからも訊ねてほしいし、伝えたらきちんと受けとめてほしい。
 そういったやりとりを通じて、身体で覚えていけると思う。
・周囲の人の力を借りていくように仕向けること
 他人と関わることは大変だけれど、
 力を借りていいんだ、援助を得つつ気持ちよく関われるんだという見本があればよかった。
 社会に出るときは、人の力を借りていかないとやっていけないから。
・感情を処理する方法を教えること
 私は負の感情を表すことが多かったので、感情をあらわにするなとよく言われたけれど、
 感情は なくせないのだから、それをどうしたらいいか教えてほしかった。
 抑えようとするから、自分がこれでいいと思えないし、不自然な行動につながる。
・自分の考えをおしつけない
 同じ経験をしても、親子では感じ方が違う。
 私のためと言われるより、自分はこう思うので勧めるんだと言われる方がいい。

親にしてもらってよかったこと

・病気を認めてくれた
 幼い頃からさりげなく病気のことを伝えてくれた。
 手の届くところに病気の解説本も置いてあった。
 知りたければ知ることのできる環境があり、自分で理解するきっかけができた。
・親の方が先にいなくなるものと言っていた
 親はいつまでもいない。そのスタンスが一番大きかった。
 会社で働いていた時の母の話や、事務所手伝いの経験が、自立への影の力になった。
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もがいて後に

つらい状況、自分でもどうにかした方がいいと思っていた。
解決策があるのではと思い、カウンセラーの存在に期待していたが、
精神保健や心理学を学んで、身体に対する医療で限界があるように、
診断を受けても、原因を探しても、すっきり解決するものでないと感じる。
でも、勉強の成果か、年の功か、冷静に状態を自覚できるようになったし、
自分ではどうしようもないこととしっかり感じるようになり、
たとえコントロールできなくても、自分を責めずに、こういうこともあるさ、と思えるようになった。

過去2回(大人になってから)、パニック=非常に激しい恐怖を感じたことがある。
トラウマだか、PTSDだか、なに障害だか、もう今はどうでもいい。
いろいろなことが絡まって、今の状態があると感じるし、何かをしようとすると、バランスを崩す気がする。
以前は自分が大事にしている場面のささいな失敗に自分を激しく責める気持ちがわき、おかしいと思いながらもなすすべもなかった。
けれど今は自分を責めなくなってきたように、これからも楽な方に変わっていくだろう。

パニック症状は、自分の存在が根底から揺さぶられるような激しい体験、つらいものではあったけれど、
逆に自分の芯というか核のようなものがあるという感覚もあって、自分というものが確かにここに在る、と確認でき、
受けた激しさと同じだけの耐える力も感じた、そんな体験だった。
1回目は何が何だかわからなかったけれど、2回目で何に対して起こるのかおよそ理解した。
そう思うと、3回目はまた新たな発見があるかもしれない。
だから、絶対あってほしくないとは思わない。ないにこしたことはない、くらいかな。
つらさも、捉え方によっては、自分の力になる。
だから、大丈夫。
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私は強いと言われる。でも、それは私だけの力ではないと思う。
私から見て親の悪かったところを書いたけれど、決して私を大事にしていなかったわけではないのだから。
大事にされ、信じられていたからこそ、私に耐える力が生まれたのだろうから。
そして、私のことを気にかけ、力を貸してくれた方があったから、進んでこられたのだ。
力を貸してくださったすべてのものに、感謝。

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