2012/1/24 UP  [もどる↑]
第14回成人先天性心疾患学会 参加記(一患者の感想です)
さいごに/未来へ  学会の周辺  話題あれこれ  患者が発表  

患者が発表

何かに押されるように、患者の経験を話すべく演壇に立った。
この学会は、患者も会員となれる。医療従事者だけでなく、患者も同じように発表の登録ができる。
昨夏、転院直後に思いがけず治療が必要となり、それをきっかけに自身の体験を振り返ってみた。
医療に活かしてほしいと、主治医に相談し、患者も先生方と同じように登録してよいとわかり、要旨をまとめ、登録。
慣れないことゆえ、これでいいのか、はぁ・・・、と思いながら。
毎年学会に参加される看護師さんがご助言くださり、とにかく進む。
先生方の発表とは質が違うので、どうすれば上手く伝わるか、どう受け止められるか本当にわからない。
発表プログラムが届き、1日目ラスト、懇親会の前という素晴らしい配置に、またしても、はぁ・・・。
心臓に悪い〜、と思いつつ、いや、始めたからには進むしかない、と。
こんなん書いていいんかいなと逡巡しつつ、不整脈治療を始めてから14年間の諸々を整理して
書き上げた発表原稿を元に、スライドを作成し。リハーサルを幾度かして、本番へGO!

プログラムが進み、私の前の発表が終わり、フロアと専門的な議論が白熱・・・
そんな後ではやりにくい、と思いながら待てる自分に気づき、かなり落ち着いていられた。
そして、壇上では足が震えっぱなしではあったけれど、何とか大事なく、原稿棒読み作戦貫徹。
ありがとうございました、と終えると・・・、拍手が!
それだけでもうれしかったけれど、座長の先生は上手くまとめてくださり、フロアから質問を頂き
今までの言うに言われなかったことも含め認めていただけたように感じ、とてもホッとした。
懇親会でもご感想頂き、患者とのコミュニケーションの大切さが伝わっていたようで、よかった。
主テーマは伝え切れなかった印象だけど、サブテーマ、大テーマは伝わったので合格点かな。

大人になった先天性心疾患のことが話題になる場に、どうして患者がいないんだろう?
それでは当人の望みとかけ離れてしまうこともあるではないか・・・
そんな素朴な疑問があり、きっかけをつかみ、参加可能か訊ねて出かけた2004年。
翌年も翌々年も、並み居る著名な先生方の中で縮こまるように話を聞いた。
そんな頃、いつかはという気持ちはあったが、実際にこんな日が来るとは思わなかった。
つい数ヶ月前まで、こんなふうに大勢の人たちの前で話せるとも・・・
背中を押してくれた たくさんのものに、感謝。

P.S.
あの場では私の個人的経験をお話しただけなので、患者の方はご自身の想いをそれぞれ形にして先生や看護師とコミュニケーションしてくださいね。
その小さな積み重ねで、きっと先生や医療も変わっていくでしょうから。
(それというのも、私の内面で大きな変化が起きて、以前なら終わると足りなかったところが思い浮かんで止まらず、訳のわからない後悔に囚われるところ、
今回は労いや感想を素直に、喜んでうけとめることができたからです。自分に負けずに進もうして、思いがけずに得られたものでした。
すぐに結果がでなくても、望む対応を得られなくても、やったことはきっと力になります。あきらめないで。)
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話題あれこれ

*フォンタンに関するシンポジウム
循環器内科の先生のために基礎的な説明が最初にあり、私も理解しやすかった。
1973年に始まったフォンタン手術。不整脈、腎臓や肝臓など、問題が起きることがわかってきたので、その対応等の話。
肝臓の医師の話では、変化があっても値ではわからず、画像では見える変化が必ずしも問題に結びつくものではないらしい。
変化が起きたとして、どこから問題になるのか、まだまだわからないことも多いのだと感じる。
最後に、フォンタンの症例蓄積をめざしてFontan NETが動き始めたとの話題。
病院から集まったデータ紹介で、フォンタン手術をしてから再手術までの年数、30年超は数人・・・。
もしやその右端(年数の最長)は私? 再手術までの年数は15年がピーク、そもそもフォンタンを受けた人は30歳以下が多いとのこと。
やはり、と思うと同時に、なるほど そうであったのか、と改めて認識した。

*不整脈
専門的なことはわからないながら、心臓の活動が色分けになっている画像が興味深い。
脈の伝わる流れを止める手だてが必要な時に、心臓のどの部分が問題になるかといった図も、見てわかりやすかった。
座長に質問を浴びせながら、治療の判断の基準のポイントを絞って提言する、ダイナミックな口演があり、楽しかった。

*診療体制の構築
こども病院の先生から、大人も受け入れるようになっているが入院の対応は大変、
成人専門の病院があれば移るという患者は7割いる、
他疾患もある、重症である、といった理由で他の病院に紹介できない患者、逆に転院できても戻ってくる患者がいるなど現状報告があり、
その病院では患者教育を始めたとのこと。
地域の病院が集約され、小児病院と成人の病院が隣同士に建ったところからの報告では、
医師がスムーズに行き来し、双方に関わることができる様子。
大学病院で循環器内科の先生方にどう関わってもらうか、
成人先天性心疾患外来を作った先生の苦労話、
他、いろいろな現実と模索の様子が語られた。
生涯医療から離れることができず、医療スタッフの力が必要。
小児系の医師では中高年がかかる疾患に疎く、循環器内科は修復した心臓に疎い。
医師が少なくなっていく中、診療施設を集める流れは避けられない。けれどそれでは通院しにくくなる。
医療関係者だけでは解決できない部分もあるが、努力を続けておられる先生方の姿に勇気を得た。

*心理関係
成人患者の入院理由や目的、東北で成人先天性の専門外来を作って1年目の報告では医学面の注意点が挙がっていた。
受診を中断した患者の状況のインタビュー調査では、成人が受診できる病院がわからなかったという意見があり、
医療者から、選択肢の情報(成人先天性の専門外来があること)や、継続して診ていく必要性を伝えられていない様子、
基本的なコミュニケーションが双方でできていないのだと感じた。(患者も疑問を訊ねる事ができていないということだから)
その辺りは、医療者でなくとも、患者の周囲にいる人が伝えられればいいと思い、
診療体制の整備とともに、社会へ向けてのアピールが不足しているようにも思えた。
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学会の周辺

学会に合わせて行われた講演・発表から

入院患者にリエゾン(精神医療)チームがついたという話を伺った。もちろん先駆的な病院でのこと。
がん患者に行われるようなフォローが、これからできるかもしれないと思うと、希望が沸いた。
ただ、どんなによい病院でもそれを力にしきれない状況があることを、家族の闘病で感じた私は、
ホスピスや在宅医療などの選択肢が増え、身近で使えるようになること、
医療者だけでなく、病院の中だけではなく、福祉やボランティアの支援も得て協働していくことができたら
齢を重ね制限が増していった時でも安心して暮らしていける、と感じる。
私が高齢者になる20〜30年後にはそうなるよう、できることを考えていたい。

看護系研究者のお話
患者の研究で、当初は傷(ボディーイメージ)を観点にしていたが、出会った患者との関わりから、
今は(健康な人たちを基準にした社会の中で)患者自身の当たり前を築いていく過程をみているという。
外(マジョリティ)の基準ではなく、いわば友として一緒に歩いているようなところからの視点がうれしい。

成人患者へのインタビュー調査をしている別の方の話からも、
インタビューや発表の過程で、研究者自身のものの見方が変化している様子がみてとれ、
患者との関わりから見解が引き出されていることに、心強さを感じた。

病児の心理・社会的発達を調べているチームの話では、
発達障害と一見思える子どもでも、詳細にみると反応が異なっているという。
その解釈と自分の経験を照らし合わせて、納得できることがあった。
患者が周囲と関わる時の反応は、環境(その人自身の経験からの意味づけ)の影響があると感じる私は、
周囲(家族だけではない)がどう関わってきたか、自身の行動に制限があること、という要因が大きいように思えた。
また、幼児期に長期入院して、発達が遅れている子どもに対して親を通じて支援が必要というが、
遅れは解消しなければならないものなのか、親に対してプレッシャーにならないか。
関わることは、相手のペースを乱すことにもなりかねないので、患者や親の負担にならないよう願う。
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さいごに

午後のみの限られた時間だったが、今回もいろいろと考え、気づき、勇気を頂き、貴重な時を過ごすことができた。
この学会は、先天性心疾患に関心を持つようになった循環器内科などの先生方への情報提供の機会でもあるし、
看護師などいろいろな立場の方も参加している。
患者に関わる時間の短い方たちに、患者にとっての当たり前を伝えることも必要なのではないか、
普段は外来通院だけでも、その関わりを通じ患者も医療の一端を担っているはず、
だから患者も億せずこの場に来てみて感じてほしい。
患者会も会を紹介するため、昨年よりブースを出しているそう、(昨年不参加だったので今回知った)
役員のお母さん方が活躍していた。季節的に患者の参加が難しいところはとても残念だが、
関心を持つ人の輪が広がり、患者への支援体制が徐々に進んでいるように感じ、心強かった。

そして・・・、未来のために。
患者教育
小児科医不足や加齢の影響を考慮するため、子どもの専門医療を行う病院から、いずれ大人の診療科へ移る必要が出てくる。
海外では移行をスムーズにするための支援プログラムがあって、先を見据えた対応をされているという。
患者が幼いうちは、親へ教えることになるようだが、発達の遅れの支援と同様、親へのプレッシャーにならないよう願っている。
そう、親も病気との闘いで心身疲弊しているもの、医療者の期待が重い時もあるはずだから。
(健康な子どもの育児でも、日本では欧米より負担が大きいと思うが、より多くのことに対応しなければならない。
仕事を続けられなくなり、自身の生き方を問い直したり、宗教を勧める親戚に悩まされたりといった
子どもの疾患から派生した問題に対応しなければならないし、欧米とは病気に対する人々の意識も感覚も違うだろうから)
ともすれば患者本人は足りないところに目がいくものだし、期待される対応と現実を比べて不満を持つこともあるから。
プログラムや知見は道具のようなもの。力にするには使い方も大事。

患者本人に対しても、医療者として伝えたいこと、やってほしいことはあるだろう。
けれど患者にとって医療者はどこか指導的立場と感じる存在。若い時ならなおさらその思いは強い。
なので、先生の肝いりで場を設けるのは、なかなか上手くいかないのではないかと思う。
もどかしいようでも、患者同士話ができるような雰囲気を育てるしかないのかもしれない。
また、慢性疾患の自己管理の技術を学ぶワークショップもあるので、利用するのもいいかもしれない。
慢性疾患セルフマネジメントプログラム (http://www.j-cdsm.org)
テキストは、病気とともに生きる 慢性疾患のセルフマネジメント(日本看護出版協会)という本。
数年前に参加し、他の疾患の方のご苦労や同じ悩みがあること、日常使っている方略の有用さなど
改めて振り返る機会になり、自分で動いて周りをみたことで少し気が楽になった。
知りたいと思う時に渡していただけること、興味を持った時に参加できる場があること、
長い経過の中では、そのように当人の気持ちに添うものがあることが一番。
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