'98年

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雑感…
哲学? 科学者 医療 意外に
インターネット
HP開設 MLとHP 開設後 人の間

哲学?

「在る」ことがいいことなのだ―池田晶子(注2)の言葉を引用し励ましてくれる(?)友人がいる。
 病気の受容と言われるものも、人は何故生きているのか突き詰めた答えも、病気や生きることで生じる様々な出来事に優劣や価値をつけることなくそのものを認めること、と思う。そう考えると、先の言葉にうなづきながらも、悟れない私であった。
 彼女の書いたものにこんな言葉があった。(注3)
「…世の中にいるのは、健康な人だけである。病気の人はそこにはいない。当然である。そもそも出てこられないのだから、そこにはいないわけである。」―病気は見えない。見えないものはないものにされる。病気があっても、悪い時のことは忘れるものだから。やはり声をあげていかないと気付かれないのだろう。
 その続き。
「…病気だろうが健康だろうが、それを生きるのはやはり自分である。落伍感も焦燥感も、他人との比較におけるそれにすぎない。そのことに気づけるなら、病気こそが、自分に還るための稀有のチャンスではないだろうか。(中略)おそらく、病人の特権は、世界を裏側から見る眼を獲得できるところにある。(後略)」―こう考えると、もしかして健康な方はすごく不自由なのでは。私は自分しかわからないし、見えなくていいと思えるものまで見えて困るときもあるが。

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科学者

 一般の人にそのままではわかりづらい論述の質を落とさず、わかるように書いてある科学の本を見つけると嬉しくなる。そういう本には大抵、バックボーンがあるように思う。
理系のすっきりした言い回しは心地よい。柳澤桂子の著作も、私にとっては読みやすい本の一つ。(注4)
「科学を超えて」(注5)という一文には、人に対するやさしい確かな眼差しがあって勇気づけられる。(引用は長くなるのでここには記さないので、興味のある方はどうぞ)

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医療

 インターネットで行う医療相談が増えているという。遠隔医療の一種にはならないけれど。
信頼のおける所では、医師がボランティアで行っているそうだ。これは医療が社会に歩み寄っている例のように思う。医療が病院内に限られ、日常の不安に応える場がないので、その補完の役目になるのではないだろうか。
医師がする必要があることなのか、病院内外で役割を持った人を社会的に認めること(医療ケースワーカーを制度化するなど)も必要ではないか、思うことはいろいろあるが、患者の不安を軽減するためになるならば、いい機会と思う。
ボランティアの医師は、身体だけが生命につながるのではないことを知る方ではないだろうか。

病気になって病院へ行く。健康であった人の感覚ならば当たり前のこと。しかし幼い頃から病院に縁がある私は、ちょっと違う。うまく説明できないが、近所の病院にかかり医師との関係を考えるとき、この辺りで躓いているように思う。

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意外に

◎病気や障害と保険との関係が気になった。[参照→]
知人との話では、病気や障害があると入れないものだと思っていたという。
さる事件ゆえか保険について投書を募っていたのでこの辺りを書いた。掲載したいとの連絡時、病気がある立場からの投書が他になかったと教えられた。
もしかしたら、だめだという思いこみから我慢したり、拘らないことにしている方も多いのではと感じた。言い出すのはエネルギーの要ることだが、言えば変わるきっかけもできるかもしれない。

◎おっとりしていると言われる。
動作がゆったりしているので、育ちがいいのかと思われることがあるらしい。
他人の評価はこうなのか、と聞いていてとおかしかった。
しかし、道を歩くスピードを、意外に早いと思われるということは…。急いでいても急いでいるふうに見えない、焦っていても余裕があるように思われている? これは困った。

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HP開設-きっかけ

◎パソコン購入
長らく自分用のものをほしいと思っていた。家業の事務所でDOSマシンを使っていたので、機械に対しての抵抗がないどころか、教わる人がいない中で、統合ソフトを入れてごく簡単な経費帖を作成したりしたので、自己流でも何とかなる、と(但し、機能は生かしきれない)。
夏、WIN98発売。型落ちを購入できれば、と見ていたが、最新式を購入。
インターネットのために設計されたOSとソフトに手招きされた。

◎病院記原稿
以前より、入院時に思ったことをまとめたもの(病院記'97)をワープロでまとめていた。
人目に触れるのは恥ずかしい。けれど、宣伝せずサイトに置いておくくらいなら、いいかな、と。

◎仲間のHPとML
Deep-Snow Land、アストロハーツは以前からたまに(ネットカフェで)見ていた。パソコンを手にしてから、アストロメーリングリスト(注*)に加入した。
周りを見ているうちに、そこまで活躍はできなくても、何かできることがあるかも、と思うようになった。
*:心臓病の子どもを持つ親・本人の情報交換  [リンク先参照→]

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MLとHP

◎ML(メーリングリスト)
集まることなく、様々な方とやりとりができる。会ったり電話するより間接的なコミュニケーションになるが、流れについていく必要がある。以前書いたものを読み直すこともできるが、次々と来るメールを読むのも大変という時もある。ペースが合わないときは、いいたいことがあっても見送り。
メールチェックのために回線をつなぐので、公民館の一室で集まるという感覚。

◎HP
図書館の資料という感覚。
見る方は気楽、でも必要なものを探すのは大変。書く方は、見てくださった方からのアクションがない限り言いっぱなしになる。
掲示板をつけるのもよいのだが、返事を書きたくなるし、返事も含めてしばらく人目に触れると思うと…。

こちらを充実させるため知恵をしぼっているところですので、メールを頂きながら、お返事が遅くなることがあります。この場でお詫びいたします。

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開設後

◎初期
何てことない呟きと、病院記でスタート。見ていただくのは、恥ずかしいという思いから、まったく宣伝しなかった。まさに自己満足の世界。
アストロMLに参加しているうちに、やはり私のHPは多少の参考になるのではないか、と考えるようになった。それに、検索しても心臓病者本人のページはあまりない。そこで、MLでアドレスの告知を開始。

◎後押し
成人先天性心疾患、まさに自分が気になっているテーマの講演。これは自分で確かめなければ。
やはり聴いてよかった。参加者は親の立場の方が大多数だったけれど、本人にこそ必要ではないかと感じた。しかし、伝える手段といえば…。HPはどれだけの方の目に触れるか分からないが、とにかくやってみよう。

そして、少しずつでも広げて行ければ…。
読んでくださるみなさんに、感謝。

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人の間

◎心臓病者
きついこともある気がして、病気のことを記すのは躊躇する。けれど、共感するとの感想をいただき、改めて思い出した。自分がそういった手記を読んで感じたのは、やはり共感だった。(注*) 辛いこともあるけれど、書いてくれた勇気には拍手を贈りたかった。きっとそれと同じものを感じてくださったんだ。
それを伝えてくださったことで、こちらも勇気が出てきた。必要と思ってくださる方がいらっしゃるのだ、と。

◎親御さん
まだ、自分のしていることに自信はないというのに、声援を送っていた。
かつて患者の会で、同じ病気のこどもがいるお母さんとお会いした。声をかけただけなのに、とてもほっとした顔をされた。その表情が忘れられなくて、こんなことをしているのかもしれない。

最近は成長が遅いことが、私の頃より重要な問題になっているという印象を受けている。

歩きはじめは3歳でも、今歩くには支障はない。食が細くて「霞を食っている」と言われたほどだったけれど、中の上の身長に恵まれた(兄も背が高いので、遺伝か?)。長い目で見ていただけたら。
食事といえば子供の頃、1時間以上かけないと食べられずに怒られてばかりで、ちょっと辛かったけれど、おかげで今はどうにか人並みのスピードになった。疲れていると食べているのに減っていかない!とか、食事に専念してようやく人並みのスピードなので会食には向かない(笑)など、多少は残っているけれど。

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ご参考までに
注*:「自閉症だった私へ」ドナ・ウイリアムス=新潮社、「変光星」森口奈緒美=飛鳥新社、など
注2:いけだあきこ=文筆家(専門用語によらずに哲学を伝えようとしている)「メタフィジカル・パンチ」=文芸春秋社、ほか
注3:「考える日々(40)」=サンデー毎日より引用
注4:やなぎさわけいこ=生命科学者。「認められぬ病」=中公文庫、ほか
注5:「安らぎの生命科学」=早川文庫に収録

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