2014/12/30 up  [もどる↑]
生活のすべを考える
 働くかたち  社会性  年金

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働くかたち

心疾患があると正規雇用されにくかったり、体調の波があり長く続けられなかったりする。
育児や介護では短時間勤務が認められても、入社時から日常的に短時間ならば、正社員になる道はみつからず
非正規雇用では、長く勤めても病休が認められず、他の待遇も差がある。
その点は大きな問題だし、非正規と正規とを対比する観点が多いのだけど。
会社なり役所なり、事業所に雇われるばかりが賃金を得る道ではないはず。
フリーで仕事を得ることも、人脈を得たり付き合いやスキルアップに割く余力が乏しく難しいものだが。
何にせよ大事なのは、身体を壊さずに生活する道を確保できること。
たとえば、もし日中留守の知人ペットの見守りを請け負い、お返しに食事を一緒にしてもらえれば、食べていけるかもしれない。
金銭でなければ支払えないのは、電気、ガス、水道、通信、医療・・・、などと思うと、文化的生活を営むには金銭が必須。
その人にできる働きで得られるお金と、最低限生活に必要な費用との差を、補うしくみがあればよい。
本来その役目を担う障害年金や生活保護が受けづらいことも、問題を大きくしている。

ハローワークには、障害者用の窓口があるが、不便な場所まで出向かなければならない。一般の人は駅近の便利な場所で対応しているのに。
障害者向け求人に対し、勤務時間の配慮は得られないか訊ねたら、会社側が示す時間は変えられないと返答されたこともある。
(たいていは、相談すると相手先の会社に訊ねるのだが)
ただでさえ高い壁を厚くされ、忍耐力が養われる。

障害が重い人には、福祉的就労という方法もある。
今は2種類あり、最低賃金や雇用条件が守られるところと、通うことを目的とした最低賃金に満たないところと。
パソコンを使った在宅勤務を行うところもあるようだが、パソコンを快適に使おうとすると意外と高価だし、
トラブルの時は身近に詳しい人がいなければ対応が難しく、専門部署のある会社のようにはいかないのではないか。
雇用条件が守られるタイプでも、能率の点から最低賃金になることがあり、その額が生活に必要な水準ではないことも問題だ。

仕事がしたくても、継続的にできなかったり求められる水準が高すぎたりして、持っている力を持て余している人たちを
働くしくみに上手く乗せ、生活を安定させるにはどうすればいいのだろうか。
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社会性

心臓病の子は社会性がない。
子どもの頃、そんな言葉を見聞きし、不満だった。
心臓病の子は、といわれると、こちらに非があるように思えた。
でも、そんなことはないはず。
他の子たちのように学校で学ぶ時間がとれず、特別扱いにならざるを得ないのだから、当然そうなるだろう。
体調を重視し、動きたくても制限したり、治療を受け入れているのだから、それどころではないだろう。
求められるものが異なる、違う社会にいて、相応の社会性はあるのかもしれないのに。
生きていれば、元気でいれば、問題が起こらなければ、それでいい。周囲の多くはそう思ったのではないだろうか。
足りないならきちんと教えてほしい。それができない人には言わないでほしい。
前は、ここまでクリアに見えなかったけれど、そういうことだったのだ。
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年金

年金は働けない人に対する所得保障。しかし、長年たっても、障害年金の不備も誤解もなくならない。
問題は大きく3つ (ここでは話を単純にするため、共済年金には触れない)

障害年金は、身体障害者手帳がなくても、手帳の対象者でなくても、受けられる。
内臓疾患では、高血圧や肝臓疾患なども対象になっていて、基準内なら受けられる。
障害の状況により、数年毎に診断書の提出を求められ(先天性心疾患では2〜3年が多い)審査され、その結果打ち切られることもある。
専門医が審査している訳ではなく、判断が微妙な内臓疾患の場合、診断項目や基準の変更がなくても打ち切られる例がある。
もちろん、時には基準の変更も行われる。(そして数年前に心疾患の基準が変更になり、打ち切りが増えたと聞く)
この基本を知らない人が多い。

障害年金には、3段階あり、厚生年金と国民年金に大きな差がある。
おおまかにいえば、ほぼ寝たきり状態の1級、日常生活に支障があり働くことができない2級、働くことに支障がある3級
このうち、3級は厚生年金に加入している時に発生した障害や疾患にのみ支払われる。
(働いている人が働けなくなって困るだろう、という意味合いと考えてよい)
20歳前からの障害では国民年金。そのため先天性患者は、日常生活に支障がある状態でなければ受けられないことになる。
障害や疾患のために働くことが難しい状況なら、どうやって生活していけばいいというのか。
3級が受けられないのは自営や農業漁業なども同じだが、家業のない若者が親に依存すれば、自身で生活を営む基盤をつくることは難しくなる。
年金制度は、1940年代に労働者年金という勤め人のための保障(厚生年金の前身)から始まり、全国民が対象になったのは1985年のこと。
まだまだ古い制度をひきずっていて、不合理な差が残っている。

年金の資金は、国の財政からも賄われている。保険料だけで運用しているわけではない。
だが、年金財政の話には、高齢者ひとりを現役世代何人して支えている、という図が出る。
全体のしくみが念頭にない、このような報道は、年金保険料を支払うのは馬鹿らしいという誤解を生むし、
保険料を納めたくても叶わず、障害年金を受け取っている人がものを言いづらくなる。
報道する側の姿勢や知識の乏しさが、制度の全体を考えるきっかけを閉ざしている。
どこまでフォローし、財源をどう確保するかは、制度の運用を考える立場の人たちの仕事だが、
縮小する方向しかないというのだろうか。
現実に即したものにするために、考えられる方法があるのではないだろうか。

さらに、20歳前から障害のある人が受けづらくなる、大きな問題がある。
障害年金の申請には、初診日が必要となる。
同じ病院へずっと通院している人ばかりではないので、カルテ5年保存の壁で、初診日が確定しない人も少なくはないだろう。
(古いカルテでもみつかることがあるそうだが、電子カルテは、病院に3年保存後、データベースに入り、規定の年数で削除されると聞く)
若い時は体調がよかったが、体調悪化により障害年金の対象になった時にも、初診日は必要なのだ。
小児病院から成人を診る病院に変わった場合、時期がたてばカルテを失うことになる。
書類が揃えば自分でも申請できるものが、不合理な規定で個人の手に余るものになっている。
わからないからダメだと、泣き寝入りした人もいるのではないだろうか。
(最近この問題が新聞記事にあった。産経新聞2014.12.11

年金制度は、課題はたくさんあるが、せっかくの制度、もっと実のあるものにしてほしい。
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