医・人・命 3

最終更新日:2003/7/3

 
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システム

医療事故の報道に不思議に感じること。
飛行機だったら、事故調査は一応外部機間(航空事故調査委員会)が入って行われる。
けれど、医療では、そういうシステムができていないということ。
最近、外部機間を作ってほしいとの要望が厚生労働省に伝えられてはいるが、
今までどうしてなかったのだろう。
医療が原因で患者が亡くなった時、警察に連絡することも、
警察の方で受けられるだけの状況になっているのかどうか気がかりだし、
治療関係に、警察が介入していいことかどうかも、わからない。
そして、ある病院では当たり前に行われているミス防止などのシステムが、
別の病院では全く考えられていなかったことは、
他のいいシステムをとり入れることが、あまり考えられていないのかもしれないし、
考える余裕すらないのかもしれない。
最低限あればと思われることに対しても、チェックが全くできないのはひどすぎるが、
ミス防止の方策を考えなかった病院を責めるだけでは解決しない。
医療を取り巻くいろいろな状況が、患者を大事にできない方向にあるようで。

患者を医療消費者と見る観点がある。
そこには大切なことも含まれているけれど、
患者が治療によって生きられる確率が高くなったとしても、
一般の契約と同じように考えるわけにはいかないはず。
不確実なことに対して、納得できるかどうか、しかないのだと思う。
いい対応をしたくても、短い時間の中で一人の医師が
いろいろな期待、考えを持つ人に対応しなければならないことの限界。
重い病気、珍しい病気だと、患者の選択肢がとても狭くなること。
病院を変わろうとするとき、検査データをそのまま持ちこめないことが多いこと。
(これ、よく批判されるけど、同じ検査でも医師の指示、技師の腕前によっては
判断の基準とするのに適当でないこともあると思うので、
所見を出す医師が自分で指示を出して行いたいこともあるのではないか)
割り切れないことが多すぎて。

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NHKスペシャル

医療ミスを隠蔽した病院のその後の様子を追った番組が放送された。
ミスを無くすための動き、ミスで亡くなった子どもの両親の話しが映し出される。

ICU(集中治療室)、あわただしく働く人たち。
あの場で過ごした時間を思い出し、微動できずに見つめ続けた。
ミスの原因を探るために幾時間も話しこむ人々、
娘さんを亡くした親御さんの姿、
謝罪のために親御さんと向き合った、小さくなった教授の姿。

救急外来でのミスは、見ていてお粗末とも思うが、
何よりも時間に追われ、人手も足りない中でのこと、余裕がなさ過ぎるのだと感じる。
原因を徹底的に探る労で疲れた医療従事者が、また別のミスを犯してしまうのではと心配になる。
血液内科の、治療のために刺した針で起きた肺への大量出血は、
抗がん剤投与後の血液検査があれば、血小板の減少に対する注意もできたかもしれないが、
それでも手を施さなければ、そのことでやはり後悔する結果になっていたのではないか、
本当にギリギリの選択の結果だったのではと感じる。
そして、心研ICU、薬剤量の転記ミスからの10倍投与は、指示した医師の責任とされ、
医師だけにペナルティーが課せれたことに釈然としないものを感じる。

そう、どれも本当に現場に余裕がないために、起きていることではないか。
ミスをした医師や看護師の責任に目が行ってしまうけれど、
患者何人に対してどれだけの人手が充てられているか、
配置の数、その基準にだって問題があるはず。
それは、その病院だけの問題ではないし、
医療従事者の力だけでは解決できないことではないか。
そのことは番組では全く触れていない。何故なのか。

そして、親御さんの感情。やり場のないつらさは、よくわかる。
でも、医師にぶつけても、癒すことにつながっていないようで、かなしいばかりだった。
子どもの立場になったら、医師と両親の対立はとてもつらいこと。
病気をよくするため手助けをしようとした医師の気持ち、自分のことを想う両親、
その間で、自分がいなければみんなにこんなにかなしい思いをさせることはなかった、
病気だったからこんなことになった、申し訳ないって、自分を責めているかもしれない。
もう、この世では生きていけないけれど、確かに生きてきた時間があった、
そのありのままの姿さえも受入れてもらえないようで、とてもさみしい思いをしていそうで・・・。
同情なんかいらない、亡くなった子の思いを、ほんの少し想像してほしいと願った。

そして、この番組で描きたいものがわからなくなった。
今回もまた、心研という一つの組織で起きた隠蔽事件に対し、
救急外来など別の場でのケアレスミスまで取り上げ、病院全体に対する不信につなげている。
しかも、医療従事者の立場でも、患者の立場でも、客観を保ち続けるでもない。
せっかく長時間現場でカメラをまわしたのに、それが生かされていないことが残念でならない。

(2003.6) [先頭へ↑]

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