はじめに
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はじめの想い | 1998.9作成,2015.10.改訂
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重い心臓病の子どもの手術ができるようになり40年余り。
その経験をした人たちが、冷静に体験を語ることができる時期になってきました。
戸惑い、不安、怖れ。やさしさ、希望、勇気。そして、力。
病気とともにたくさんのことを感じながら、過ごしてきました。
私は、病気を持つ大勢の先輩と、その命を生かそうとする人たちが、歩く道を整えてくれたと思っています。
今はもっと重症でも、小さいうちに手当てを受け、当たり前に日常を過ごせるようになりました。
同じ病気でも違いが大きくなり、想いを共有できない寂しさ羨ましさもあります。
ただ、問題なく過ごせていても、周囲の対応や人生の節目で病気の影響を感じざるを得ないこともあります。
健康な状態が前提の社会の中で生きていくには、当人が強くないといけないようです。
状況の差が広がる中、私には何もできないけれど、せめて、目前の道を整えていきたいと思います。
これからも自分の道を歩き続けていきます。
後に続く人たちの道がもっと歩きやすいようにと願いながら。
先天性心疾患があるということは | 2016.9.作成
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健康な人の身体が自動車だとしたら、
先天性心疾患の人の身体は、バイク。
四輪で周りを囲まれた、安定安全な乗り物を運転するのと、
地面の凸凹や風雨を感じ、バランスをとりながら運転するのと、
その違い。
道路を走るということは同じだけれど、
高速道路は大型二輪でないと走れない。
大型は、免許にしてもバイク自体も手にするのは難しい。
だから、昔のような、のんびりした時代ならいいけれど、
高速を走ることが当たり前の世の中をゆくのは、少々きついときがある。
雨風の時は走りづらいし、自動車が感じない凹凸にも気を使う。
当たり前に気づかずこなしているかもしれないけれど、
運転技術が必要で、上級技術を持っているから毎日を過ごせている。
少しの不調も大事につながるから、定期点検も欠かせない。
だから、専門の先生のところへ通うんだ。
ガタがこないよう、上手く使いこなせるよう、長持ちするよう、
学ぶことも必要になるんだ。
自動車のような安全性はないけれど、
二輪であることは、不利なだけではないはずだ。
与えられたからには、乗りこなす力はきっと備わっている。
大型に乗れるなら、堂々といけばよい。
普通ならば、風を感じながらいけばよい。
原付なら、軽く街中をいけばよい。
自動車に邪険にされたら、怒ってもいいのだよ。
働く人はアスリート | 2019.3.作成 |
体力が乏しく疲れやすい、そのために自分を磨くことも難しい
そんな特性の私からすると、健康な人はみなアスリートのよう。
様々な職業があることを、様々な競技種目があること、
社会人として活躍することを、公式試合に出場することに例えるならば、
試合に出ることが難しいレベルの選手ではないか。
身体が違うのだから、努力して同じようにできたとしても、
いつもいつも力いっぱいでいないとならなくて、疲れ切ってしまう。
休むことは負けではないし、試合でない時も大事な人生。
そこをどう過ごすかが、その人の本当の意味での実力。
元気な人用の競技が数多く認められてはいても、
全員が試合で闘うことはできないし、誰もそれを求めていない。
ならば、市民プレーヤーでもいいのではないか。
アスリートばりの生き方にこだわらなくてもいいのではないか。
非公認・未公認の競技を選んでもいいのではないか。
お手本が見当たらなかったり、一般的な教えをアレンジしなければならなかったり、
難易度の高いロールプレイングゲームをプレイするような人生、
時にゲームを中断したくもなる。
かっこいいアスリートを見れば羨ましくもなる。
だけれども。
唯一のこの身を活かしたいと私は思う。
難易度の上がったゲーム、やめないでいこう。